注:この記事は占いが好きな方には毒気が強すぎる記事となっています。
「白羊宮(アリエス)」と、誰かが、かすれた声で低く唱えた。「獅子宮(レオ)」と別の誰かがうめいた。「双子宮(ゲミニ)」「天秤(リブラ)」「人馬宮(サジタリウス)」という声が、ここかしこから、そしてそこらじゅうから飛んできた。彼らは十二宮を唱えていたのであり、私の胸には不吉な予感がしのびこんできた。なぜなら、これが意味するものは、私がこれからまさに不条理な愚行の大海にどっぷりと浸されること以外ではなかったのである。
-アイザック・アシモフ-
(舞台≪ヘア≫の感想)
『占いに関するetc』
占いってのも色々あって、手相や顔相、あるいは血液型のように、ある種の統計学的な要素(別にそれらが常に正しいって意味じゃない)を含むものから、占星術のように、何のことやらさっぱり意味が分からんものまである(惑星の配置が占星術師にとって意味を持つんなら、なぜ彼らは天王星や海王星を見つけられなかったんだ?)。その中でも、ボクがとりわけ胡散臭いと思っているのは「前世/過去世」を占うってやつ。
ボクには、前世なんてものが存在するかどうかなんて分からない(それは誰にも「分からない」だろう)。輪廻転生を「信じるか」どうかって言われても、心底は信じられない。けれど、「そうだったら良いね(=また逢えたら良いね)」とは思う。
そもそも、科学がすべてを解明するとは思ってないし、たとえ宇宙の謎が全て解明されたとしても、それでも何かしら残るものはあると思っている。そして、それを求めてもいる(それは「奇跡」と呼ばれるべきものだ)。だけど、それは全てを理論的/実証的に検証しつくした上での話であって、はなから何でもかんでも神秘的にしてしまうのとは天と地ほども違う。
先日、ボクが毎週見ているある番組で(ある占い師による)占い企画をやっていた。色々な占いがあって、他の占いは、まあ、それでもゲーム感覚で面白く見れていた。そこに出演していた占い師は(ボクは)割りと好感が持てる人だとも思ったけれど、それとこれとは話が別。「過去世」がどうのって言い始めた瞬間にボクはカチンと来てしまった。「あなたはどこぞの貴族だった」だの「お姫様だった」だの。バッカじゃないの←言っちゃう人(笑)
オーラだの何だのってのも含めて、基本的に、彼らはただ単に「人を見る目」がある(それがどの程度かはさておき)人たちってだけのことだろう(+コールド・リーディング)。それならそれで良い。だけど、問題なのは、彼らは、自分の発した言葉の責任を決して自分自身で請け負わないってこと。人の眼には見えない/科学的に検証できない概念を使うことで、彼らは概念そのものの検証を不可能にし、自分の言葉に対する責任を曖昧にする。
1000人の占い師(やら何やらその手の人)を集めて、1人の人の前世*を占わしてみたら良いのさ。科学的に厳密な手続きを踏んで実験が行われたならば、まず間違いなく多種多様な前世が出て来るだろうね。もし、まったく同じ前世が出たのなら、彼らは協力して「前世の見分け方」って統一理論を執筆すべきだ。その方がずっと人の役に立つだろう。でも、彼らは実験に協力すらしないだろうさ。何てったって営業妨害になるからね。
(*「過去世」ではなく厳密に1つ前の「前世」。過去世なんて言い出したら、占いの結果がそれぞれ違っても問題なくなってしまうからね。まあ、それが手なんだろうけど)
あるいは、1人の人に1日で1000人占わせても良い。1週間経って同じ1000人をシャッフルして占わせたら、カンペでも用意しない限り、まあ違った結果が出るだろうさ。科学が全てを解明するわけじゃないってことと、彼らの言っていることが正しいってことは、全く別問題なわけだ。だけど、彼らは何かしら理由をつけて言い逃れする筈だ。言い訳ってことに関しては、彼らは例外なくその才能をフルに発揮するからね。
そもそも(少なくとも仏教における)輪廻転生って概念は「人生ってのは一回だけで完結してなくて、その生の行いによって、次の生が決定される」ってことで、つまるところ、(違うものに生まれ変わるってことも含め)人生を相対化する(=連環する輪として捉える)ことによって、一度の人生に存在する ある種の不平等を是正すると共に、現在の人生における生き方を制御する役割を持っているわけで、頭の足りない女の子(失礼*2)をどこぞの貴族やら姫さまに仕立て上げてしまうためにあるんじゃないのさ。
(*2注:特定の誰かの頭が足りないって意味ではなく、そんな占いを本気で信じてしまう人間は男の子/女の子関係なく頭が足りないって意味。ボクが見た番組は、女の子が占われていたため、上記のような表現になっています<(__)>)
そう、既存の「宗教」に比べて、「占い」ってのは、その場しのぎで「哲学」がないってことなんだな。キリスト教でも仏教でも、その教義は徹底的に(肯定的に/批判的に)検証されてきた。キリスト教における神学なんかは、その最たる例だろう。その結果、三位一体なんて妙ちくりんなアイデアも思いつきながら、キリスト教は複雑に構築されてきた。それでもやっぱり、科学の隆盛に伴い、その多くの部分は否定されるようになる(世界は七日で作られたんじゃないわけさ)。
だけど、それでも残るものはある。それが哲学と、そして「信仰」だ。(キリスト教徒にとってそれは、キリストの復活を、そして救済を信じるということであり、仏教徒にとってそれは、輪廻転生を、そして、そこから抜け出し誰もが仏になれるということを信じることだろう。ボクにとってそれは、すべてを検証しつくした後に残るたった一粒の奇跡への祈りだ。)
「占い」から神秘的な部分を取り除くと、何が残るだろう?何も残りはしない。(占いは現実世界での利益を示さなければならないって点で「信仰」では有り得ない。)だから彼らは徹底的に神秘的なもの(=科学で検証不可能なもの)を守らざるを得ないのだ。彼らは決して、どこか特定の既存宗派に属しているようには見せない(そんなことをすれば当の宗派によって瞬く間に否定されてしまう)。だけど、彼らは、彼らの言葉の背後に何か宗教的な世界が広がっているように匂わせる。言ってみれば、何の裏付けもない彼らの言葉に「箔をつける」ためだけに、既存の宗教観が利用されているんだ。はっきり言って、きわめてアンフェアだと思う。そう、ボクはアンフェアってことが、世界でもっともキライなんだ!