え~・・・少し間が空いたので、
何を言うべきか忘れてしまいました(笑)
まあ、冗談は置いておいて、問題になっているのは、
「彫像は、未加工の大理石の塊の中にヴァーチャルに存在する」
という言葉を、果たしてどう理解すれば良いのかということでした。
これに伴って、中世スコラ哲学においては、
「ポテンシャル」と「ヴァーチャル」が、ほぼ同義だったことを述べました。
すなわち、未加工の大理石の塊は彫像になることが「可能」であるため、
彫像は未加工の大理石の塊の中に「ヴァーチャル」に存在するのです。
さて、ここで問題が生じてくるように思えます。
ミケランジェロが「素材が命じるままに彫る」
と述べる時、それは、素材の中に彫像がすでに
「ヴァーチャル」に存在するという言明だと受け取れます。
しかしながら、これは中々むずかしい問題です。
なぜならば、ミケランジェロその人がいなければ、
おそらく、その彫像が生まれなかったであろうことも
また事実だと考えられるからです。
≪ロンダニーニのピエタ≫に彫られている棒状のもの。
これは、ミケランジェロがプランを変えたために取り残された
と言われていますが*1、これを踏まえて考えるならば、
彫像は、大理石の塊の中ではなく、むしろ、
ミケランジェロの心の中に「ヴァーチャル」に存在することになり、
american heritageにおけるvirtualの第二の定義、
Existing in the mind, especially as a product of the imagination.心の中に(とりわけ想像力の産物として)存在すること。
が当てはまることになります。
それでは、
「彫像は、未加工の大理石の塊の中にヴァーチャルに存在する」
というフィリップ・ケオーの言明は間違いなのでしょうか?
実は、そうとも言い切れないようです。
つづきはまた次回・・・(毎度、引っ張るようで申し訳ないです<(__)>)
左側に立っている棒状のものは、最初の構想にあったイエスの右腕がそのまま残されたものである。つまり作業が中断された時点ではイエスはもっと前屈みになっており、これからマリアを彫り出すための大理石の塊を背負うような形になっていた。作業の再開にあたってミケランジェロはイエスの前半身を打ち砕き、後ろの塊から改めてイエスを掘り出していったのである。wiki:ピエタ(ミケランジェロ)