検証の前に
吉村昭さんは、史実に対する徹底的な追求で知られている作家です*1。吉村さんが一行書いたのならば、その背後には膨大な量の調査が潜んでいると考えて良いでしょう。『桜田門外ノ変』の監督&脚本家が、それを理解しているとは到底思えません。
この映画、「原作に忠実だから”だろう”」とか「史実に忠実」という評を見かけました。そういう方に、ぼくは「ほんとに原作を読みましたか?」と問いたい。原作に書いてないことが映画で起こり、原作に書いてあることが映画で起こらない。それにも関わらず、「この映画が原作に忠実であるという錯誤」に基づいて、「この映画は史実に忠実であるという評価」が与えられる。史実の改変。これこそ、吉村さんのもっとも恐れたことのように思えます。c.f.前記事
僕は、吉村さんの一ファンとして、この映画を批判的に検証する義務も権利もあると思っています。とりあえず、焦点となっている「桜田門外の変」に絞って検証してみましょう。(そもそも、原作では下巻の前半で登場する「桜田門外の変」が、映画では2時間20分あるうちの30分ほどの時点で登場するって点で、もはや全く原作を無視した構成になっているわけですが)
*註はコメ欄に載せています。
検証
(特に断りがない場合、引用は吉村昭『桜田門外ノ変 下』新潮文庫)
①~稲田重蔵~
原作
半合羽を着た稲田重蔵が、刀を真っすぐにして、駕籠の扉に体当たりするのが見えた。p.103
(「見えた」という表現になっているのは、指図役の関鉄之助から見た描写になっているからです。多くの日記を残した関を主人公にした吉村さんの、史実に対する姿勢が、ここからも見てとれます。)
↓
映画
稲田は半合羽を着てもおらず、体当たりもしていません。
この体当たりで井伊大老は致命傷を負ったんじゃないかと関が思ったという記述もあるので*2、これは明らかな原作の改変です。また、稲田が彦根藩士(河西忠左衛門)に斬り伏せられる描写も違っています(原作では上段に構えた河西の刀が振り下ろされるのに対し、映画では突きになっている。この手の些末な改変はそれこそ山のように見られます。)
②~同士討ち~
原作
蓮田市五郎が増子金八と息をはずませながら斬り合い、他の者も同志と闘っている。鉄之助も、彦根藩士か同志か判別しがたく、血が所々で飛び散るのをかすんだ意識の中でながめているだけであった。p.104
(事件当日、新暦1860年3月24日は季節外れの大雪で視界が非常に悪く、その上、極度の緊張状態だったため、浪士の同士討ちが起こりました。)
↓
映画
同士討ちが起こっているようには見えません。
大体、この映画を見て彦根藩士と浪士とを見間違える人がどれだけいるでしょうか。先述した河西忠左衛門が合羽を脱いでいる(それは原作の記述にもあります)ので唯一紛らわしいですが、この映画のそれ以外の彦根藩士は山吹色の鮮やかな合羽を着ているので見間違いようもないのです。これでは、なぜ同士討ちが起こったか分かりません。
原作には彦根藩士の合羽の色は描写されていませんが、≪桜田事変絵巻≫[伝狩野芳崖筆]では抹茶色、wikiに掲載されている≪桜田門外の変の想像図≫[作者不詳]では伽羅色くらいの落ち着いた色です。浪士の一人、蓮田市五郎が事件後に描いた≪櫻田實地写眞之図≫では胡桃色くらいの感じですが、この図では河西以外にも合羽を脱いでいる彦根藩士が相当数いるように見えます。また、上述の稲田のように、原作/史実では浪士側でも半合羽を着ている人物がいます。原作にもあるように、両者が入り乱れて判別しがたかったというのが実際でしょう。
③~井伊直弼~
原作
井伊大老は(事件の場面に)生者としては登場せず。
こう書くと誤解を招くかも知れませんが、これは、原作が関鉄之助の視点で描かれていることによります。原作末尾に収録されている解説では野口武彦さん(文芸評論家)が次のように述べています。
井伊大老は、襲撃の瞬間までずっと遠景、というよりオフステージに置かれ、その姿がいっぺんに読者の前にクローズアップされるのは、首無し死体になったときである。いや、太刀の先につらぬかれた首級になってからである。それまでは、つまり鉄之助の主観ではという意味だが、井伊直弼はへんになまなましく、かつ抽象的な人名にすぎない。相手は実体不可知性の彼方にいる。理解も判断も越えた、要するに、暗殺すべきターゲット以上でも以下でもない。だからこそ、襲撃計画が立てられ、計画自体が闇雲だったがゆえに成功したともいえる。p.367
↓
映画
事件の最中、数度にわたって駕籠の中がクローズアップで映され、「ばかめ」「ばかどもめが」「日本をどうするのだ」などと台詞を吐く。
これは、もっとも酷い改変のひとつだとボクには思えます。「文学的側面」と「パースペクティブの側面」に分けて考えていくことにしましょう。
Ⅰ文学的側面:吉村さんは戦史/歴史小説を書き始める前に、4度にわたり芥川賞の候補(その内の一度は、一旦は受賞が決まったものの、直後に取り消されるというおまけつき*3)となったように、ただ文章が上手いというだけでなく、優れた文学的資質を持った方でもあります。
その吉村さんが、井伊大老をずっと(野口さんが指摘するように)オフステージに置いておき、事件当日、生首として読者の前にいっぺんに提出するように描いたからには、そこには、明らかに文学的な効果を狙った意図があります。この映画の監督と脚本家には、そのような意図を理解するだけの素養も努力の跡も見られません。これは、原作の根幹にかかわるような重大な改変なのです。
Ⅱパースペクティブの側面:吉村さんは、この原作を書くに辺り、関鉄之助の視点から描くことに決めています。
これは、資料収集でお世話になった元東京大学史料編纂所教授の吉田常吉氏の助言によるものである。鉄之助は筆まめで多くの日記を残しているという理由からであったが、それ以外にもかれを視点に据えたことによって全体像がつかめ、主人公にしたことは正しかったと思っている。吉村昭『史実を追う旅』pp.215-216
原作は、史料を引用する場合や歴史背景を説明する場合など、関鉄之助の主観を離れた客観的な描写がなされる説明部分と、関を視点に据えた主観的な描写がなされる物語部分とで成り立っています。基本的に物語部分は関の視点で話が進みます。たしかに、吉村さんは様々な史料を批判的に検証したり*4、客観的に事件を捉えようと出来うる限りの努力をされています。しかし、(基底となっている史料が関の日記である以上)最終的にはやはり、この『桜田門外ノ変』は、「関鉄之助の目から見た桜田門外の変」なのです。吉村さんはその多くの作品で、このようなスタイルをとっていますが、これは氏の歴史観によるものでもあるでしょう。吉村さんの小説には、すべてを客観的に描けるといったような傲岸さは微塵もありません。
だからこそ、先述の河西忠左衛門でさえも原作の物語部分では<一人の彦根藩士>として記述されているのみなのです。吉村さんが河西の名を知らなかったなんてことは有り得ません*5。その名を知らなかったのは主人公の関なのです。それゆえ、吉村さんは河西の名を書いていないのです。そういう吉村さんの意図をまったく無視して、事件のさなか(=物語部分)駕籠の中の井伊大老をクローズアップで映し、あまつさえ台詞さえ言わせた映画版『桜田門外ノ変』は、ただの傲慢で独りよがりなものだと思えます。
もし、吉村さんが事件を井伊大老の視点から描こうとしたならば、それこそ膨大な資料を集め、徹底的に検証して一つ一つの言葉を言わせたことでしょう。この映画に携わった誰かひとりでも、そのような努力をしたでしょうか。ぼくは甚だ疑問です。
④~小河原秀之丞~
原作
倒れていた彦根藩士の一人が手をつき、立ち上がった。額から鼻にかけて傷口がひらき、血が胸もとまで流れている。
鉄之助は、よろめきながら歩いてゆく藩士の姿を眼で追った。笠が裂け、背にも血がひろがっている。歩いてゆくのは彦根藩邸とは逆の方向だった。
藩士は桜田門の前を過ぎ、上杉弾正大弼屋敷の塀ぞいをふらつきながら進んでゆく。前方には、首を刀の先に刺した有村ほか四名の同志が、よろめきがちに歩いていた。
鉄之助は、藩士が刀をふりあげ有村の肩にふりおろすのを見た。有村が前のめりに倒れ、それに気づいた同志たちが、藩士を周囲から斬りつけた。pp.106-107
(杵築藩江戸留守居役奥津の目撃談として)
首級を手に有村たちが現場を去った後、深傷を負った「駕籠脇之侍」(小河原秀之丞)が、よろめきながら有村を追ってゆく様に、
「愁傷之有様見るにしのびず」
と記している。p.110
↓
映画
現場のど真ん中、おそらく駕籠から5mくらいの位置で有村に斬りつける。
これは、主君を討たれた一人の彦根藩士(小河原秀之丞)が、「現場を去った」浪士たちを追いかけて、井伊大老の首を討った張本人である有村次左衛門に背後から斬りつけ、そして滅多打ちにされるという、原作では最も哀愁を感じさせる場面のひとつです。目の前で主君の首が討たれて、それを天下の往来で持ち去られる。武士として、これほどの恥辱は有り得ないわけです。(実際、無疵で帰ってきた藩士たちはみな死罪になっています。)だからこそ、小河原は瀕死の重傷を負いながら、首を持ち去ろうとする有村たちを単身、文字通り必死の思いで追いかけるわけです。そのような武士の死に様を*6、(時間短縮のためか何か知りませんが)こうも簡単に改変してのける監督に、武士の何たるかが理解できているとは到底思えません。
⑤~事後~
原作
(奥津の目撃談)
深傷を負って倒れていた二人の彦根藩士が、ようやく立ち上がり、雪の中に引出されていた首のない井伊大老の遺体を駕籠の中におさめた。それを彦根藩邸にはこぼうとして、
「両人ニ而舁(かつぎ)たる所 中々歩行も不叶(かなわず) (松平)大隅守屋敷長屋下へ少し寄(り)其儘(まま)差置 両人とも倒れ」
という悲壮な情景も筆にしている。
そこに赤合羽を着た彦根藩士が二人駆けつけてきて、駕籠をかつぎ上げると、深傷を負い血刀を手にしていた藩士も身を起こして近寄り、駕籠につきそって彦根藩邸の方へ行った。pp.110-111
↓
映画
駆け付けた彦根藩士は赤合羽を着てませんし、そもそも、最初に駕籠を運ぼうとした深傷の2人は登場すらしません。
まあ、いまさらこの監督が何をしようが驚かないのですが。駆け付けた彦根藩士が井伊大老の遺体を駕籠に収容する場面で、この映画でもっとも間抜けな瞬間が訪れます。それは、ここで聞こえてくる「だいじょうぶか~?」という声です。この台詞を吐いた人物は画面に映ってませんが、もちろん、傷ついた同僚に向かって言ったという設定でしょう。しかし、主君の首なし遺体を前にして同僚に「だいじょうぶか~?」などと言う台詞はありえません。よしんば、首を討たれたことを知らないとしても、主君の安否を確認するのが第一でしょう。ちなみに、駆け付けた藩士、何事もなかったかのように遺体を駕籠に収容し、何事もなかったかのように運び去ります。そして、その直前に聞こえてくる「だいじょうぶか~?」・・・彦根藩士を、いや武士を舐めとんのかと言いたい*7。このような音声を放置する監督の見識を、ぼくは疑います。
大体、この監督(兼脚本)と脚本家は、凄惨な事件の直後に六年前の回想場面を挿入してみたりと、品性というものがまるで感じられない悪趣味な改変をいとも簡単にしてのけます。(原作では事後処理が淡々と描かれ、それが圧倒的なリアリティを持って読者に迫ってきます。)
とりあえず、この辺にしておきますが、事件の場面だけでも原作にそぐわない描写はまだまだあります。映画にとっては最大の見せ場である事件の描写がこんな感じなのです。それ以外は推して知るべきでしょう。
この映画は、原作に忠実でもなく、史実に忠実でもありません。この監督&脚本家は、吉村さんの原作を理解していませんし、歴史のなんたるかを理解してもいません。僕が言いたいことは以上です。