卒論メモ1 | 想像上のLand's berry

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言葉はデコヒーレンス(記事は公開後の一日程度 逐次改訂しますm(__)m)


『デジタル写真の場はどこなんだろう』


たとえば、ぼくがアナログカメラで撮った写真を現像したものと、

デジタルカメラで撮った写真をプリントアウトしたものを並べたとして、

果たして、それは「アナログ写真とデジタル写真」として対比できるだろうか。

ぼくは、そう簡単にはいかないような気がする。


「君は誰?」と聞かれた場合、

答え方は無数にあるだろうけれど、大きく分ければ二通りになると思う。


1つめは由来を答えるやり方。

「ぼくは誰々の子どもで、何処そこで生まれました。それから~」

すると、

「なるほど、キミはデジタルさんの子どもだからデジタルさんですね」

ってことになる。


2つめは在り方を答えるやり方。

「ぼくは手足が二本づつあって、目はふたつで口はひとつ~」

すると、

「なるほど、キミはアナログ的な存在だからアナログさんですね」

ってことになる。


上記のプリントアウトされた写真の例でいくと・・・

デジタルカメラで撮った写真なのだからデジタル写真ってのが

由来に基づく説明。(ここ注意が必要かも知れない*)


デジタルカメラで撮ろうが何だろうが、「モノ」になってしまっている時点で

アナログな存在に変わっているのだから

アナログ写真ってのが在り方に基づく説明。(ここも注意が必要**)


プリントアウトされた写真で比較できないのだとすると、

デジタル写真の場はどこかってのが問題になってくる。



*デジタルカメラで撮ったものであっても、

 プリントアウトというアナログ出力を「経ている」という点を鑑みれば、

 もしかしたら由来説によっても、プリントアウトされた「デジタル写真」は

 アナログ写真と呼ばれるべきなのかも知れない。


**アナログとデジタルってのはモノの次元では

 結局のところ、スケールの問題に収斂されてしまう気がする。

 たしかに、ある程度引き伸ばされプリントアウトされた「デジタル写真」は

 (非連続的な)ドットの集まりによって現されていることが分かる。

 しかし、さらに拡大していくと、(つまり電子顕微鏡などで覗けば)

 アナログ写真とデジタル写真の境界は消失してしまう。 

 モノの次元では所詮、どちらも原子の集まりに過ぎないからね。


 だから、ぼくはデジタル写真ってのは「コード化されている」ってのが

 定義に含まれるべきだと思う。それはつまりモノではなく情報なんだ。

 では「アナログ-デジタル」ってのは「モノ-情報」って関係なのか?

 そこはもう少し考えないといけないな・・・




そういえば、卒論ゼミがすでにはじまってます(* ̄艸 ̄)

上の趣旨は次回のゼミで話す予定なんですが

・・・果たしてこんなに長く話せるかな?(笑)