怒られる話(捕鯨に関するetc.) | 想像上のLand's berry

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言葉はデコヒーレンス(記事は公開後の一日程度 逐次改訂しますm(__)m)


ごめんなさい<(__)>

先に謝っておきます。

もうぜんぶ僕が悪いのです。まったく弁解の余地もありません<(__)>

この件に関しては、何を言われても反論しようと思いません。

さて、これだけ謝っておけば良いかな・・・(* ̄艸 ̄)←タチ悪い


なぜ僕が謝っているかと言えば、

これからする話によって怒られるからです。

それは・・・

「もう、捕鯨ってやめたら?」

あ~!すいません<(__)>すいません<(__)>すいません<(__)>


正直な話、

シー・シェパードのやり方は最悪ですし、

グリーン・ピースだって好きじゃありません。

彼らが言っていることに「理」があるとは全く思いません。


しかし、残念ながら、この「戦(いくさ)」は負け戦です。

気付くのが遅すぎた・・・

この戦いは、そもそも「理」の戦いではなかったということ。


クジラ(やイルカ)の個体数、生態系に与える影響・・・

彼らの知性、他の動物との境界線・・・

文化としての捕鯨、歴史上の経緯・・・

武器改良による致死時間の短縮・・・

じつのところ、それらは、まったく関係なかったのです。


この戦いは、「感情」による戦いでした。

いつの頃からか、彼ら(多くの西洋人)は

クジラやイルカを「仲間」として認識してしまった。

そして、ぼくらは彼らの「仲間」を殺し続けている。

ただ、それだけの問題に収斂されてしまったのです。


「仲間」を殺されて怒り狂っている人間に、

いくら「理」を唱えたって無駄なことです。

そのことに気付くのが遅すぎた・・・


愛犬家が犬食文化に嫌悪感を覚えるのに近いかも知れません。
実際、それは嫌悪感などという生易しい言葉では表せない感情なのですが。
もっとも、犬食は陸地(その国の内部)で行われますから、

「他国に干渉される筋合いはない」と強弁することも出来ますが、

調査捕鯨は公海上で行われますから、そう主張することも出来ません。


文化は守らなければならない。

それは分かる。

しかし、文化には、守れる文化と守れない文化があります。

たとえば、生贄(人身御供)・・・


(もし仮に)捕鯨を中止するのならば、

漁業に従事している方の生活も考えなければならないでしょう。

それには(当然)手当てを支給するべきです。

これは「国家財政の規模を縮小せよ」という、

僕の従来の主張とは異なることも分かっています。

しかし、国益というものを総合的に考えるのならば、

ここで捕鯨を中止して、手当てを出した方が「得」でしょう。


「そもそも、アメリカが日本に開国を迫ったのは、

 捕鯨船の補給基地が欲しかったからじゃないか。それを今さらなんだ!」

そういう意見も分かります。

しかし、繰り返しますが、これはもはや「理」の戦ではないのです。


いまや捕鯨に賛成しているEUの国はノルウェーとアイスランドだけです。

(アメリカ/ロシアなどは原住民生存捕鯨に限って許可を与えていますが)

どう考えても、この「戦」は勝ち目がありません。

今の状況で降伏した方が、傷が広がって降伏するよりも良い。

僕はそう思います。


え~・・・戯言を申しました。

申し訳ありませんでした<(__)>