東京の中心には巨大な緑地がいくつかあります。富国強兵~高度経済成長へと至るまで、人々の価値観が開発へと傾いていたなか、なぜ、このような緑地が残ったのでしょうか。この土地には二系統あります。ひとつは、神社の土地、もうひとつは天皇家の土地だったものです。
価値観のベースには幾つかのものがあると思いますが、ここでは2つに分けて考えてみたいと思います。すなわち「思想=理論(ロゴス)」によるものと、「習慣(エートス)」によるものです。
「思想」による価値観は時代ごとに大きく変化します。そして、「思想」は良くも悪くも非常に強い力を持っています。ある時代の「思想」が良いものであったか悪いものであったかは個々の時代が(そして個々人が)相対的に判断するしかありません。それは、常にどちらかが絶対的に正しいという質のものではないのです。
一方、「習慣」というのは、あらゆる時代を通じて脈々と受け継がれていくものです。たとえば「道徳(必ずしも儒教的な道徳を意味しません)」や「伝統」がこれに付随する価値観です。「思想」による時代の価値観が変転し続けるなかにあり、これは歴史を繋ぐ一本の細い糸として機能します。
「習慣」には「流行」に抵抗する力があります。たとえば、ある時代に古臭いとされた「価値観」がのちの時代に見直されたりすることがあります。人が時代ごとの(「思想」の)「価値観」にすべてしたがってしまうとするならば、前の時代の価値観に基づいたものは根こそぎ無くなっている筈です。しかし、「習慣」によって培われた価値観は時代の底流で、脈々と息づいています。
冷泉家(歌道)や表千家(茶道)のように、「伝統」を繋ぐ糸は世襲によって踏襲され得ることが数多くあります。天皇家は、これら「習慣」の価値観を代表する存在だと言えます。そして、なにより(天皇家の持ち物だったことによって緑が保たれたように)天皇家は天皇家であることによって、これを保ちます。
たしかに、天皇家そのものが「思想」に利用されてしまったこともありました。しかし、それは本来の姿じゃないのです。天皇家は「習慣」という価値を1000年以上に渡って守り続けてきました。あの巨大な緑地を思う時、僕は天皇家が天皇家として存在する意義を改めて認識します。