これは、あくまで僕の意見です<(__)>
また、非常に長文ですので、どうかごゆっくりとお読みください。
(レスはいつでも構いません)
どうして「陛下」と呼ばなければいけないの?という質問には、それが慣習だからとしか答えられません。たとえばお医者さんを「先生」、落語家を「師匠」と言うように、(別に自分の師でもないにも関わらず)職業によって敬称をつけるのは、(日本に限らず)世界どこの国でも普通に見られることです。(大統領は「閣下」ですし)むしろ欧米の方がそういう肩書にこだわると言っても良いかも知れません。僕自身、普段は「陛下」などとは言いませんが、実際、本人の前に出たら(間違いなく)敬称で呼ぶでしょう。紗綾さんは、本人の前でも敬称で呼ばないご覚悟はおありですか?もし、ないのだとしたら、それが普通の感覚だと思います。要は、紗綾さんにとって「皇族」が他人ってだけの話です。「陛下/殿下」と呼ぶ人たちにとっては(実際の関係はどうあれ)皇族が他人ではないってだけのことです。(また、皇族と親しい友人などが敬称抜きで呼び合うことも考えられますが、その場合は「皇族」としての関係ではないからだろうと思われます。公の場=「皇族として登場する場」では彼らも敬称で呼び合うでしょう。)
さて、肝心の「天皇は果たして必要か?」という問題に移りましょうか。
心の拠り所という話ですが、これは(日本という国自体の)正当性という問題に関わってきます。まあ、色々と言えることはあるのですが、ここでは単純に、ではなぜ心の拠り所が天皇ではいけないのですか?と聞き返しましょうか。紗綾さんも天皇が(日本人の)心の拠り所であるというのは認めるのですよね? では、なぜわざわざ別の心の拠り所を作る必要があるのか。別に心の拠り所(錦の御旗と言い換えてみましょうか?)を作ってしまったら、国が二つに分かれてしまうではないですか。(段階的に交代させるにしてもです)たとえば、心の拠り所(錦の御旗)の交代が上手くいったとしましょうか?その後、誰かが天皇の子孫を担ぎ出して、「こちらが正当な政権だ」と言ったとしたらどうしますか?その(交代した)心の拠り所の正当性はどこに求めますか?民意ですか?しかし、残念ながら、庶民というのは王とか血統というのに弱いのです。いみじくも紗綾さんが心の拠り所と仰っているように、現在の日本にも、彼らを心の拠り所にする人が数多くいます。担ぎ出された天皇の子孫につく人間は必ず出てくる。(当たりまえですよね。1000年以上、日本という国の定義は天皇がいる国という定義だったのですから)フランス革命やロシア革命を思い起こしても分かるように、王朝が終焉する時には莫大な量の血が流れます。(フランス革命当時やロシア革命当時のような「王権の害毒」は既に抜かれているにも関わらず)わざわざ、すでにある心の拠り所を交代させて国を分裂させるような必要がホントにあるのか?ぼくは疑問です。
また、優秀な外交官を募れば良いというお話ですが、(その「優秀な外交官」が本当に皇族の代役足り得るのかという話は置いておくとしても ー 僕は代役にはなりえないと思いますが)ここでも、こう聞き返しましょう。なぜ、皇族に外交の役に立ってもらうとともに、優秀な外交官を募ってはいけないのですか?つまり、皇族というのは日本にとって非常に有益な(外交上の)オプションなのです。(日本の国益という観点から見た場合)自らの国益を損なうような判断は有り得ません。
では、皇族の観点から見た場合はどうでしょうか。紗綾さんが彼らを心の拠り所から去らせ外交から去らせたいのは、法の下で人は平等であるべきで、生まれながらに平等ではない彼らが「かわいそう」だからですよね?
ではいくつか確認しましょう。まず、法の下に平等であるというのは、みな平等な立場で生まれるべきであるということを意味しません。
平等主義には大きく分けて機会平等と結果平等(共産主義)という考えがありますが、日本が選択したのは機会平等です。(結果が平等でないのだから、不平等な結果から生まれた子どもの立場も不平等になります。しかし、たとえどのような立場で生まれたとしても機会は等しく与えられるべきだというのが機会平等という考えです。)
そして、天皇にも他の人と同じように生きる機会は与えられています。現に退位した天皇は過去数多くいますし、(他国ですが)20世紀に入っても王位を捨てたイギリスのエドワード8世の例もあります。
ちなみに、皇室典範には、
第11条(皇族身分の離脱)① 年齢15年以上の内親王、王及び女王は、その意思に基き、皇室会議の議により、皇族の身分を離れる。② 親王(皇太子及び皇太孫を除く。)、内親王、王及び女王は、前項の場合の外、やむを得ない特別の事由があるときは、皇室会議の議により、皇族の身分を離れる。
とは書いてありますが、天皇及び皇太子が皇籍を離脱できるとは書いていません。しかし、それはおそらく問題にならないのです。↑のエドワード8世の例を見てみましょう。
1.国王が退位する、といっても退位できないし、議会が退位を宣言しても退位させられない。
2.上が成立してもエドワードが「選帝侯妃ゾフィアの継嗣」であることに変わりない。
これを解決するためには以下の方法が考えられました。
これを解決するためには以下の方法が考えられました。
国王が退位の意思・希望を表明。議会が王権停止の法案を提出。国王裁可。
まず、エドワード八世が「退位に関する文書Instrument of Abdication」を出し、ヨーク公爵アルバート王子(後のジョージ六世)、グロスター公爵ヘンリー王子、ケント公爵ジョージ王子とともに署名しました。ここで重要なのは、ここではエドワード八世は「退位する」とは言っていない点で、あくまで「退位」意志と希望を述べただけです。つまり、「自ら退位する」という事を行っていないわけで、慣習法に反していません。これに沿う形で議会は陛下の ≪退位宣言法 » を即日成立させました。
イギリスに(こういう)前例があるということは、イギリス流の立憲君主主義を模範にしていた我が国の皇族にとっても議会にとっても極めて大きな意味を持ちます。天皇が退位すると宣言したとすれば非常な騒ぎになるでしょうが、本人の決意が固い場合、それを止めることは出来ないでしょう。(憲法上、議会を通じて皇室典範を改正することは可能です=つまり、退位の可能性は常に開かれている。)とは言え、日本の皇室とイギリスの王室の立場で決定的に違うところが一つあります。これは最後に言います。
↑に見たように、彼ら(皇族)がそれ(皇籍を離脱)を選択するかどうかは彼らに委ねられています。彼らがそれを選択しないだけです。実際に一般の人に戻れるかどうか、そして、彼らが本当にそれを言える状況にあるのかということはここでは問題にしません。紗綾が仰っている「法の下に~」は原則論(権利問題)ですから。
言ってみれば、彼らの存在は現行の(機会平等)システムと決して矛盾しないのです。むしろ、矛盾しないからこそ存在していると言えるでしょう。現行の(機会平等)システムを支持しているのならば、なぜ現行のシステムと矛盾しないものを取り除く必要があるのか?僕は甚だ疑問に感じます。共産主義者がそう言うのは分かります。彼らは結果平等主義を標榜しているのですから。
現実に存在するものを、現にあるものとして容認するのは、これはただの現状容認であり、思想などではありえません。ぼく自身、天皇制が「自然に消滅」するのならばそれは仕方がないことだと思います。しかし、現実に存在するものを(段階的にであれ)「無くせ」というのは、ある理念の反映であり、その背景には何らかの「思想」があると考えなければなりません。その「思想」が何なのか、それは良く考えてみなければなりません。その「思想」なるものが20世紀のドイツやロシアに何をもたらしたか、思い起こす必要があるでしょう。(別に思想がすべて悪いと言っているわけではありません)
つぎに、かわいそうだから彼らを重荷から解放してあげようというのは(お気持ちは分かりますが)、論としては成立しません。
人間は生まれながらにして平等ではないというのは紗綾さんも同意して頂けると思いますが、他の立場に生まれたものの幸不幸に関して、そもそも、他の人があれこれと斟酌して判断する筋合いではないのです。
たとえば、鳥が「人間はなんて不自由な生き物なんだ。かわいそうに」と言ったとします。それは(鳥たちにとっては)その通りかも知れません。しかし、彼らには人間として生まれた喜びは分からないのです。
もし、ある人が「鳥たちの言うことはもっともだ。よし、明日から私は鳥になろう」と言ったとしたら、誰も、そのことを妨げるべきではないでしょう。(実際、鳥になれるかどうかは別として)
問題は彼ら(皇族)はそうは言っていないということなのです。もちろん、そう言えるような状況ではないと言えるかも知れません。あるいは、彼らが生まれた時からそういう教育を受けているからそう考えられないだけだとも言えるかも知れません。しかし、すべては相対的なものです。彼らの価値観が正しいか我々の価値観が正しいかを決めることは出来ません。彼らに我々の価値観を押しつけることは出来ません。
実際、彼らはことあるごとに「皇族として」の責務を強調します。そして、それを自ら進んで受け入れるという趣旨の発言をしています。もし、愛子さんがホントに耐えられなく、そしてご両親が愛子さんのために(エドワード8世のように)皇籍を離れる決断をしたのならば、誰もそれを止めるべきではないでしょう。しかし、彼らはそういう決断をしないというだけです。
また、こうも言えるかも知れません。生まれのことで差別やイジメを受けるのは、別に愛子さんに限りません。(家が貧乏であるとか、先天的に何か特徴があるとか)あらゆることで人は人を差別します。(愛子さんの問題というのは)皇族云々という問題に収斂させてしまうより、むしろ、人類そのものが抱えている問題として広範囲に捉えた方が良いように思えます。そう考えるのならば、(愛子さんの問題に関しては)「皇族を解放して」などと言うよりも、「差別やイジメをなくそう」と言ったほうが余程スマートなように思います。
さらに言えば、言葉を失うのは皇后に限りませんし、神経を病むのは皇太子妃に限りません。もちろん、皇族という立場が精神的にラクだとは言いません。彼らに負担があるというのは事実でしょう。
事実問題という観点から考えた場合、ぼくの解決策は紗綾さんとは正反対です。つまり段階的になくすのではなく、増やすのです。さきほど、英国王室と皇室では決定的な違いがひとつあると言いました。それは皇位継承資格保持者の数です。日本の場合、皇位継承順位は(現在)7位までしか決まっていません(つまり、皇位継承資格保持者は7人)、一方、英国王室の場合はなんと1700位以上!まで決まっています。これによって退位するのも(比較的)容易なわけです。
日本の皇族の負担の多くは、彼らが数家族しかいないことに由来しています。たとえば、皇太子妃に皇位継承資格保持者=男子を産めというプレッシャーが各方面からかかったのもそうですし、単純に皇族が多ければ一人当たりの国事の負担も減るでしょう。ですから、ぼくの意見としては終戦時に臣籍に降下した11宮家を皇族に戻したらどうかというものです。(もちろん、同意があればですが)
長文(かつエラそうな文で)申し訳ありません<(__)>