ヘーゲルは「絶対者(神)を描くことが芸術の目的」だと定義した。
元来、キリスト教の神は概念的な神、世界の外に立つ神だ。
従って、ルネサンス期イタリアの数学的な遠近法による絵画は、
数学によって神へと至らんとする試みであると捉えられる。
(数学とはまさしく概念的なものだ。)
すなわち、それは神の世界へ「向かう」という方向性を示唆する。
一方、同時代フランドルの画家ファン・エイク(兄弟)は、
≪ヘントの祭壇画≫において自然観察による感性的な遠近法を用いた。
この祭壇画では、神は遠く遠くへと消える視線の彼方(消失点)に示唆されている。
しかし、そこへと至る方法(遠近法)は、感性(視覚)によって導かれているのだ。
これは、神そのものを感性的な世界へ連れ出そうとする試みであろう。
すなわち、神が人間界(感性界)へ「向かってくる」という方向性を示唆する。
僕は、ここに後のフランドル/オランダ絵画の特質を見るのだ。
それは、風景画の中に、静物画の中に、「精神性」を示す絵画だ。
そこには「神」そのものは描かれていない。
しかし、感性的な世界に舞い降りた「神」は、
風景の中に、静物の中に、静かに宿っている。
ヘントの祭壇画(wiki)
元来、キリスト教の神は概念的な神、世界の外に立つ神だ。
従って、ルネサンス期イタリアの数学的な遠近法による絵画は、
数学によって神へと至らんとする試みであると捉えられる。
(数学とはまさしく概念的なものだ。)
すなわち、それは神の世界へ「向かう」という方向性を示唆する。
一方、同時代フランドルの画家ファン・エイク(兄弟)は、
≪ヘントの祭壇画≫において自然観察による感性的な遠近法を用いた。
この祭壇画では、神は遠く遠くへと消える視線の彼方(消失点)に示唆されている。
しかし、そこへと至る方法(遠近法)は、感性(視覚)によって導かれているのだ。
これは、神そのものを感性的な世界へ連れ出そうとする試みであろう。
すなわち、神が人間界(感性界)へ「向かってくる」という方向性を示唆する。
僕は、ここに後のフランドル/オランダ絵画の特質を見るのだ。
それは、風景画の中に、静物画の中に、「精神性」を示す絵画だ。
そこには「神」そのものは描かれていない。
しかし、感性的な世界に舞い降りた「神」は、
風景の中に、静物の中に、静かに宿っている。
ヘントの祭壇画(wiki)