Adam Elsheimer《The Flight into Egypt》-1609.06.16 | 想像上のLand's berry

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言葉はデコヒーレンス(記事は公開後の一日程度 逐次改訂しますm(__)m)

 
Adam Elsheimer
(1578-1610)
≪The Flight into Egypt≫
1609
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Oil on Copper, 31 × 41 cm
Alte Pinakothek, Munich
 
序章
 
はじめに一枚の絵画をご覧頂きましょう。アダム・エルスハイマー作《エジプトへの逃避》です。銅板で31cmx41cmだと言うことですから、そんなに大きな作品ではありません。無数の星々、水面に浮かぶ月。星々の位置は正確ではありませんが、この作品は天の川を星々の集まりとして、そして月の表面を詳細に描いた初めての絵画だと言われています。この作品を分析したドイツ博物館の研究チームは、これが1609年6月16日21:45の月であると発表しました。
 
アダム・エルスハイマーはメランコリックな人物であったと言われています。現在、残されている彼の作品は約40点。この作品を制作した1年後に32歳の若さで病死しています。1609年6月16日の夜、エルスハイマーは、どんなことを考えていたのでしょうか。
 
 
第一章―バイオグラフィ
 
本題に入る前に簡単に彼の経歴を振り返って置きましょう。アダム・エルスハイマーは現在のドイツ、フランクフルト・アム・マインで生まれました。仕立屋の息子であり、10人兄弟の長子でした。20歳の時、彼は故郷を旅立ちます。ミュンヘン経由でイタリアに向かい、ヴェネツィアへ入りました。ここで彼はヴェネツィア派の明るい色彩に大きく影響されたようです。次いで1600年、22歳の時、ローマへと向かいます。カトリック世界の中心、古代との掛け橋、数多の画家や詩人を惹きつけて止まなかった永遠の都ローマこそが、彼が終世に渡り活動した場所でありました。17世紀の幕開け。バロックの揺籃期。この頃のローマではカラヴァッジオ、アンニバーレ・カラッチなどが活動していました。エルスハイマーも同世代の多くの画家たちと同じようにカラヴァッジオの明暗法に興味を持ったようですが、明暗法に関して彼は独自の立場をとっていました。同時期にイタリアにやってきたルーベンスはエルスハイマーを非常に高く評価し、二人は親交を結びます。憂鬱性で仕事が遅かったエルスハイマーに対して、1つ年上のルーベンスは時には厳しい言葉で彼を叱咤激励したと言います。1606年、エルスハイマーは結婚し、同じ頃にプロテスタントからカトリックへと改宗します。1608年、息子ジョバンニ・フランチェスコが誕生、同年10月、友人ルーベンスが帰国しました。そして、1609年がやってきます。
 
 
第二章-聖家族の向かう方角
 
さて、こうして、僕らは再びこの作品の前に立っています。<エジプトへの逃避>はキリスト教美術の主題の一つであり、ヘロデ王の幼児虐殺を逃れるために、聖家族が一時的にエジプトへ避難したという逸話に基づいています。この作品で注目して頂きたいのは聖家族の向かう方角です。聖家族が向かう先を解く鍵、それはこの星空にあります。ドイツの美術史家クレスマンは、ここに描かれた聖家族はmilky wayすなわち天の川に導かれていると言っています。天の川は別名を<ヤコブの梯子>と言いますが、それはイスラエル民族の祖であるヤコブが梯子を降りてきた天使たちから祝福を受けたという逸話が元になっています。つまり、クレスマンによれば、天の川に沿うように伸びていく木々や、画面左の焚き火から上がる火花が、見る者の目線を左上に流れるようにしている。そこにある天の川(すなわちヤコブの梯子)は天国への入口であり、聖家族は天界に導かれているのだと言うことです。確かに説得力のある説ですが、僕の見解は少し違います。こちらをご覧下さい。
 
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PCのソフトが計算した1609/6/16/21:45、ローマの夜空です。天の川の広がりから、《エジプトへの逃避》の画角は約45度程度、最大に見積もっても60度程度でしょうか。いずれにせよ、月の位置、天の川の位置から判断して、画面の中心、即ちエルスハイマーが描いたのは東南に浮かぶ月よりやや東より、東南東の方角のようです。聖家族は東南東の画面を左向きに横切っている訳ですから、北北東の方角へ向かっていることになります。そして、聖家族を導く天の川もまた北の空へと消えていくのです。これは一体、何を意味しているのでしょうか。聖家族はベツレヘムからエジプトへ向かった訳ですから、西へと向かっている筈なのです。もちろん、エルスハイマーが方角など気にせずに、美的判断のみに基づいて描いたという可能性はあります。ここで、もう一つ見て頂きたいのは画面右上に見えている星々です。
 
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これは北斗七星ではないかと言われています。しかし、これは奇妙な話です。北斗七星が浮かぶのは北の空の筈なのです。これにはいくつかの説明が可能でしょう。これが北斗七星だとすれば、画面は北を向いていることになり、聖家族が向かう方向が西南西となって、主題との整合性が取れます。これは絵の依頼者(おそらく友人のハウトだろうとされています)に対する説明にもなるでしょう。ローマから北斗七星がこのような角度で見えるのは、実に5ヵ月後、11月頃のことです。明らかに彼はこの作品の完成に長い時間を掛けていますが、ルーベンスも言っているように、借金に苦しんでいた彼の経済状況を考えれば随分悠長な気もします。翌年に彼は債務者監獄に収監され、結果として、この《エジプトへの逃避》が彼の最後の作品となりましたが、そのような時期に、わざわざ北斗七星を描き込んだのであれば、この作品において聖家族の向かっている方角をエルスハイマーが意識していたと考えるのは自然なようにも思えます。
 
 
第三章-ふたつのイメージ
 
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のちにエルスハイマーが描き込んだのは北斗七星だけではありませんでした。この作品を赤外線で分析した結果、彼がヨセフの位置を描き直したことが分かっています。当初のプランではヨセフが聖母子を導く形だったそうです。前年には息子が誕生していますが、彼の心境に何か変化があったのでしょうか。ヨセフの姿を横目で見やる聖母の目はどこか冷ややかです。生活力に乏しかったエルスハイマー、彼は異郷の地で愛する家族を養っていけない己の姿を、描き直したヨセフの姿に託したのかも知れません。こうして、ヨセフとエルスハイマーの姿は重なっていきます。そう考えるのならば、この作品はダブルイメージで構成されているような気がします。一方は聖家族の逸話に基づいた旅立ちのイメージ。エジプトへの逃避、ヤコブの梯子、これらは主題に相応しくエジプトのイメージです。それはヨセフから見た世界でもあります。エジプトへと聖家族を導くヤコブの梯子。ヤコブは帰郷と旅立ちを繰り返し、最後には異郷の地エジプトでその生涯を終えます。異郷の地で幸せな晩年を送りながらも、消えることのなかったヤコブの故郷への想いが二つのイメージを掛け橋するかのように、その一方では北のイメージが繰り返されます。北へと導く天の川、北の空に浮かぶ北斗七星、エルスハイマーの故郷ドイツを連想させる鬱蒼とした森林。これらはエルスハイマー自身が重なり合う帰郷のイメージです。帰郷と旅立ち、対となるイメージ。進行方向から目を逸らす聖母。描き直されたヨセフの位置。先の見えない不安。それでも、幼子イエスを見つめるヨセフの眼差しは優しさに満ちています。二律背反する想い。二つに分かれた月。なにか、エルスハイマーという人が抱えていたものが分かるような気がします。エルスハイマーが聖家族に自分を擬したとは言いません。あるいは、僕はメランコリックという言葉に引き摺られ過ぎているのかも知れませんが、しかし、心情を託したことくらいは有り得るように思えます。
 
 
第四章-夜が全てを包む。
 
16世紀の人モンテーニュが「ローマは世界で最も<万人共有>の都であり、ここでは誰しも自国にいるような感じがする。」と言っているように、ローマの眩しい昼の空は彼に異境の身であることを忘れさせたでしょう。昼、そこは理性の支配する世界、明晰性の王国です。バロックの揺籃期は相反するものを抱えた時代でもありました。プロテスタントとカトリックの対立。勃興する自然科学と神学のせめぎあい。神は神である資格を剥奪され、明晰さはやがて祈りを奪います。区別は消し難く、人びとは、ありとあらゆるものに名付けようとするでしょう。存在という言葉の前で、神は居場所を失います。天界への入口は閉ざされ、エルスハイマーはローマの荒野に一人佇みます。やがて、色が移り変わり夜へ。エルスハイマーと同じフランクフルト・アム・マインに生を受け、後にイタリアへ旅行したゲーテはこんなことを言っています。「昼を享楽し、しかもとりわけ夕方を楽しむ国では、夜になることがきわめて意味深い。しかしぼくら北方のチンメリアー(常闇の国の住人)は昼がどんなものかほとんど知らない。永遠の暗い霧に包まれているぼくらにとっては、昼も夜も同じことだ。」永遠の暗い霧。昼と夜の区別が消失する世界。常闇の国の住人だった彼らにとって、闇夜は故郷を想起させるものだったのかも知れません。夜、そこでは透徹した眼差しを持つことは出来ません。輪郭を失い背景に呑み込まれるオブジェクト。空に瞬く幾千の星。遠くは近くに感じられ、消失した距離感の中で、凍てついた時間が過去と現在を結びます。永遠の暗い霧。光が闇に融けていく世界。常闇の国の住人、エルスハイマーが生まれた空。激動する時代の中で、神秘は夜の闇の中でのみ呼吸を許されます。アダム・エルスハイマー、彼もまた相反するものを自己の内に抱えた人物でした。自然科学への興味、カトリックへの改宗。イタリア的な技法、ドイツ的な精神。溢れる好奇心と憂鬱な眼差し。西へ向かう聖家族と北への想い。彼が描いた《エジプトへの逃避》は矛盾に満ちた作品なのかも知れません。それは、彼の葛藤を表しているのかも知れません。しかし、それらは夜の闇の中で静かに融け合っています。彼が1609/6/16の夜に考えていたこと、それは、星々の美しさ、家族への愛情、あるいは、もっと単純なものだったのかも知れません。
 
 
終章
 
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 最後に、ひとつの作品を紹介して終わりたいと思います。エルスハイマーが亡くなったことを知ったルーベンスは非常に落胆しました。「全ての画家にとっての損失」だと言ったと伝えられています。1614年に描かれたこの作品は明らかにエルスハイマーへのオマージュとして描かれたものです。半分に欠けた月。ヨセフはただひたすらに半分に欠けた月を眺めています。
 
Chopin : Nocturne N°20(Aldo Ciccolini)-YouTube