参考文献 | 想像上のLand's berry

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言葉はデコヒーレンス(記事は公開後の一日程度 逐次改訂しますm(__)m)

 
補足1
エジプトへの逃避:史実かどうかは分かりませんが、ベツレヘムに救世主(新しい王)が誕生したことを聞いて恐れたヘロデ王は、ベツレヘムの2歳以下の男児を全て虐殺する命令を下したと云われています。天使のお告げを聞いた聖家族は一時的にエジプトへと避難しました。
 
補足2
ヤコブの梯子:ヤコブは別名イスラエルとも言い、イスラエル民族の祖とされる旧約聖書の人物です。双子の兄エサウとの争いで逃亡と帰郷を繰り返しました。ある時、夢の中で神の祝福を受けます。この逸話に登場するのが天から天使が降りてきたとされるヤコブの梯子です。中世のヨーロッパでは天の川(Milky way)をヤコブの梯子と呼び慣わしていました。神の祝福を受け家督権を相続したヤコブですが、エジプトの地で終焉を迎えます。ヤコブとその息子ヨセフがエジプトで終焉を迎えたことはモーセの出エジプト記の伏線となります。
 
補足3
方向:ゴシックからルネサンス期の同主題のいくつかの絵を見てみると、聖家族は左から右へと向かう傾向が見てとれます。いくつか理由として考えられるのは、西洋人が左から右へと文字を読むので、右へ進む方が彼らにとっては自然に感じるということ。「right」が「正しい」という意味を持つように、右側が正しい方向とされていることなどが考えられます。しかし、北方のピーテル・ブリューゲル(父)や、エルスハイマーと同じ時代のアンニバーレ・カラッチが右から左へと向かう聖家族を描いたように、時代が下るに連れて聖家族の向かう方向が作者の創意(あるいは美的感覚)によって自由に決められる傾向が現われてきます。 
 
補足4
ガリレオ・ガリレイ:エルスハイマーが《エジプトへの逃避》を描いた1609年は、ガリレオが天体望遠鏡を製作し星々の世界を切り拓いた年でもありました(国連とユネスコは、ガリレオが望遠鏡を夜空に向けてから400周年であった去年2009年を世界天文年に定めました)。次いで1610年に木星の衛星を発見したガリレオは、天動説(ひいてはカトリック教会)を大きく揺らがせました。 
 
補足5
自然科学への興味:ガリレオが『星界の報告』で月面の詳細な様子を世間に公表したのは1610年のことですから、1609年に描かれた《エジプトへの逃避》に月面の様子が描かれていることは、ガリレオとエルスハイマーの繋がりを示唆します。しかし、二人の間に交流があったという確たる証拠はありません。世界最初の科学アカデミーであるリンチェイ・アカデミー(Accademia dei Lincei)の創設者フェデリコ・チェージとエルスハイマーは親密な関係にあったようですが(同アカデミーの紋章は、その様式などからエルスハイマーが描いたのではないかと言われています)、ガリレオが同アカデミーの会員として迎えられたのは、エルスハイマー死去の翌年、1611年のことでした。ガリレオとは全く無関係にエルスハイマーが望遠鏡を入手していた可能性もあります。(1609年夏にはチェージが幾つかの望遠鏡を製作していたことが分かっています。)  
   
補足6
イタリア的技法、ドイツ的精神:美術史家ケネス・クラークはエルスハイマーを評して、技法はドメニキーノ的だが、精神的にはアルトドルファーの直系であるとして、彼の絵に残るドイツ的精神を指摘しています。
 
補足7
債務者監獄:憂鬱症で仕事が遅かったエルスハイマーは、財政的には常に厳しい状況にありました。彼の弟子でもありパトロンでもあったヘンドリック・ハウト(Hendrick Goudt c.1583-1648)は彼が描く絵に前金を払って彼の財政を助けようとしましたが、(おそらくは)エルスハイマーのあまりの仕事の遅さに痺れを切らし、1610年にエルスハイマーを債務者監獄に収監させました。結果から言えば、これがエルスハイマーの命取りになり、1609年に描かれた≪エジプトへの逃避≫が彼の遺作となりました。
 
補足8
ルーベンスの落胆:当時の債務者監獄は非常に厳しい環境であり、病気にかかったエルスハイマーは釈放後も回復することなく、同年32歳の若さであっけなくこの世を去りました。一番残酷な知らせ-わが愛するシニョール・アダムの死-を知ったルーベンスは次のような言葉で彼の死を悼んでいます。「私の意見では小品や風景やその他多くの画題でも、彼の右に出る者はおりません。彼は研究の花を咲かせずして亡くなってしまいましたし、彼の収穫はいまなお葉のみであります。彼には、これまで見られなかったし、これからも見ることができないようなものを、期待することができたでしょうに。-中略-この知らせを聞いたときほど、深く悲しみに打たれたことはありません。」 
 
 
参考文献
・『ブリタニカ国際大百科事典』TBSブリタニカ、1995
・『オックスフォード 西洋美術辞典』講談社、1989
・Rüdiger Klessmann『Adam Elsheimer 1578-1610』Paul Holberton Publishing、2006
・エーリッヒ・フーバラ『西洋美術全史バロック・ロココ美術』前川誠郎/高橋裕子 訳、グラフィック社、1979
・ケネス・クラーク『風景画論』佐々木英也 訳、岩崎美術社、1967
・R.ウィットコウアー/M.ウィットコウアー『数奇な芸術家たち 土星のもとに生まれて』中森義宗/清水忠 訳、岩崎美術社、1969
・ゲーテ『イタリア紀行(ゲーテ全集11)』高木久雄 訳、潮出版社、1979
・モンテーニュ『モンテーニュ旅日記』関根秀雄/斎藤広信 訳、白水社、1992
・藤田治彦『天体の図像学』八坂書房、2006
・戸沢義夫『ジャンケレヴィッチの「夜想」と想像力(芸術と想像力)』東京大学出版会、1982
 
資料
・『Stella Theater Pro Ver3.02』 Toxsoft、2010