『今日は音楽に合わせて語ろう』
大抵の人は善良なんだ。
ドイツに行く前は不安ばかりが先に立っていた。
もちろん、僕の運が良かったっていうのもあるだろう。
たまたま、治安が良い土地だったっていうのもあるだろう。
でもね、大抵の人はホントに善良なんだ。
それはね・・・中国でも一緒なんだと思う。
僕は中国にも行ったことがある。
ただ、残念ながらツアーだったから、
普通の人とコミュニケーションする機会はなかった。
(まだ中国語を習う前だったから、そもそもコミュニケーション出来なかっただろうけど。)
僕が中国語を習った先生2人は中国出身だった。
どちらも素晴らしい人格者だった。
もちろん、日本の大学で教えるくらいだから、
普通の人とは違うっていうのも分かる。
でもね、それでも大抵の人は善良なんだと思う。
そりゃあさ、
価値観や環境の違い、色々あるからさ、
どこへ行っても歓迎されるわけじゃないだろうし、
どうしても乗り越えられない考え方の違いもあるだろう。
それでもね、
人間の根っこにある善良さっていうものを、僕は信じたいんだ。
今回の事件。
政府の対応はおかしかったと僕も思う。
そもそも、最初に国外退去させてしまえば良かったと思うし、
(どうせ釈放するんなら)拘留期限を延長しなくても良かった。
相手からしてみれば、あれだけ突っ張ったくせに、
圧力をかけたら途端に腰砕けになったって感じだろう。
あの那覇地検の発表だって、司法の独立はどこへ行ったんだって感じ。
ヨソの国から圧力をかけられて法律を捻じ曲げてしまうんだったら、
法治国家としての体が成り立たない。
中国に対する批判はここではしない。
それは皆、毎日目にしているだろうから。
でも、ムカついたでしょ?
正直、僕はムカついた。
でもね、僕らが一方に属しているってことを忘れちゃいけない。
僕らの触れている情報/言説が、常に客観的ってわけじゃない。
僕らには真理そのもの(つまり事件そのもの)は見えない。
見えるのは真理の一側面である事実(つまり証言/証拠)だけだ。
(この辺の論理展開はこちら→http://blogs.yahoo.co.jp/flowinvain/25772969.html)
主観的事実の積み重ねが領域を形成し、
客観的真理はその中で任意の値をとる。
もちろん、領域の形成に対して
影響力の強い「事実」もあれば、そうでない「事実」もある。
大事なのは、
そうして積み重なった主観的事実の領域の中で、
標準偏差らしきものを見つけること。
少し分かり難いかな・・・
つまりね、
相手の言い分も考慮に入れるってこと。
そして「正しい―間違い」の関係で捉えるのでなく、
お互いの合意を得られるように努力するってこと。
ここにいる誰も実際に見たことがない島のことで、
これだけ頭に血が昇ってしまう。
もちろん、領土問題が大事じゃないなんて僕は言わない。
資源に関してだって、これから一段と厳しくなるだろう。
でもね、
その感情が血を呼ぶんだって、僕らは分かっていた筈だよね。
エラそうなことを言う積もりはない。
ないけどさ。
それでも、天を仰いで溜息をつきたくなる時があるんだ。
友人を選ぶことは出来るけど、
隣人を選ぶことは出来ない。
友達関係をやめることは出来ても、
隣人はいつまで経っても隣人のままだ。
キミならどうする?