吉村昭さんの『背中の勲章』を読みました。(もっとも敬愛する作家である)吉村さんの著作は相当数読んでいる筈ですが、改めて感じたことを幾つか・・・
引用・・・(それが良いか悪いかは別として)多くの人の場合、自分の言いたいことを言うために、あるいは、自分の描きたい物語を描くために、史料を引用する。でも、吉村さんのスタイルはそうじゃない。時代が下るに連れ、大戦の生き残りの方が減り、生の証言を得られなくなると、吉村さんは大戦の話を書かなくなった。膨大な史料を読み込んで、あるいは直接聞いて、それを(ほぼ)生のまま読者に提供するのが吉村さんのスタイルだと思う。吉村さんが戦時中の彼らの行動について、「これが良かった」とか「これが悪かった」とか判断することは(ほとんど)ないと言っていい。感情に流されず、常に淡々とした語り口で言葉を紡いだ。ありのままの歴史。ありのままの証言。揺れる時代の中で、吉村さんの著作は常に客観的な視線を保ち続けた。そして、同じ時代を生き抜いた仲間として彼らの証言を聞いた。だからこそ、多くの方たちが吉村さんの前では重い口を開いた。善悪の基準を超えた ありのままの歴史の凄みが、吉村さんの著作の中には生き続けている。
↓吉村昭『背中の勲章』背表紙より
昭和17年4月18日―太平洋上の哨戒線で敵機動艦隊を発見した特設監視艇・長渡丸の乗員は、玉砕を覚悟で配置につき、死の瞬間を待った。けれども中村一等水兵以下五名は、米軍の捕虜となり、背中にPWの文字のついた服を着せられて、アメリカ本土を転々としながら抑留生活をおくった―。運命のいたずらに哭く海の勇士の悲しい境遇を通して描く、小説太平洋戦争裏面史。
↓wikiより(ちと長いですが・・・)
歴史小説では、『戦艦武蔵』にも見られるように、地道な資料整理、現地調査、関係者のインタビューで、緻密なノンフィクション小説(記録小説と呼ばれる)を書き、人物の主観的な感情表現を省く文体に特徴がある。
また、海を題材にした歴史小説を多く書いており徹底した史実調査は定評がある。「戦艦武蔵」に端を発する近代日本戦史を題材とした「戦記文学」と言うジャンルを確立したのは彼であるとも言われており、史実と証言の徹底的な取材と検証、調査を基にした事実のみを描く作品群には定評があったが、1980年前後を最後として近代以前の歴史作品に軸を移すようになった。これを吉村は自筆年表で「多くの証言者の高齢化による死」を理由に挙げている。事実を見すえた実証的な作品が書けなくなったことで、戦史を書くことはなくなった。
1980年以降に次々と発表されたものは近代以前の俗に歴史ものと呼ばれる作品群であったが、磯田光一は「彼ほど史実にこだわる作家は今後現れないだろう」と言っており、フィクションを書く事を極力避け、江戸時代のある土地の特定年月日における天気までも旅商人の日記から調査して小説に盛り込むということまで行っている。