
『成聖』
ベンヤミンは「複製技術時代の芸術」が
「アウラ(「いま」「ここ」にしかない一回性)」を消失すると述べた。
以前の記事で僕は「成聖」という概念を使って反論を試みた。
つまり、正教会では(理論上)全く同じ図像でも
成聖を行なわれているもののみを「イコン」と呼び、
成聖を行なわれていないものと区別する。
僕は人々がこれに類することを日常的に行なっているのではないかと考える。
形を認識するのは主観だ。
そして、主観は常に「いま」「ここ」にしか居ない。
主観が主観であることによって、
目の前のもの(のみ)に聖性(アウラ)を与えていく。(=成聖)
まさに、僕が「いま」「ここ」に居ることによって、
目の前のものが(形という)特別な存在に変容される。
つまり、「アウラ」を対象の側ではなく
主観の側に置いて考えてみるのだ。