Katarina Witt - 1994年ドイツ選手権 LP
Where Have All the Flowers Gone?
冬のオリンピック。
僕が思いだすのは、リレハンメル・オリンピック。
初めて自分の意志で見たオリンピックだった。
あの頃。
やりたいことも、夢もなくて、毎日、ただ深夜放送を見ていた。
そんな僕にとって、オリンピックのようなイベントは、
退屈な日常の中で、掛け替えのない人生の糧だった。
それまで、学校の中だけしか知らなかった僕の世界が、
TVのブラウン管を通して一気に広がっていった時代でもあった。
1993年、オスロ合意。
1994年、リレハンメル・オリンピック。
僕にとって、ノルウェーという国は特別な意味を持っている。
リレハンメル。
人口3万人足らずの小さな町で開催されたオリンピックは
手作り感覚と人の素朴な優しさに満ち溢れていた。
そんなリレハンメル・オリンピックは、
僕のオリンピックのイメージの原形になっていて、
僕の原点はあの頃に築かれたんだと、今にして思う。
あの頃、日本人選手がどうかなんて、余り考えなかった気がする。
1994年。
28歳になっていたフィギュア界の元女王カタリナ・ビットは、
オリンピックにプロの参加が認められたことで、2大会ぶりに復帰を決めた。
とはいえ、時代はもはや彼女のものではなかった。
彼女より1世代下の選手が繰り出す技の数々は、
フィギュア界が、
芸術性よりも技を重視する時代に突入したことを物語っていた。
迎えたオリンピック。フリー演技。
おりしも、ボスニア紛争の最中でサラエボが戦火に見舞われていた。
自らが金メダルを獲得したサラエボ・オリンピックの開催地。
サラエボへの想いを胸にカタリナ・ビットは滑り始める。
選曲は「花はどこへ行ったの(Where Have All the Flowers Gone?)」
反戦の願いが込められた曲だった。
僕は、そのような事情を深く理解していた訳ではなかった。
ただただ、ブラウン管の中のカタリナの滑りに心を奪われていた。
人は、こんなにも優雅に舞えるのだろうか・・・
ただただ・・・美しかった・・・
2度に渡ってミスをして7位に終わったカタリナ・ビットだけど、
会場からは誰よりも大きな拍手を受けた。誰よりも輝いていた。
あの頃、
異なる価値観が手を携えて生きていけると、
僕は無邪気にも信じていたんだろうか・・・
戦争は終わらない。
いつしか僕は、あの頃のカタリナ・ビットと同じ年代になった。
今の僕には、大切にしたい価値観があるけれど、
それでも、異なる価値観に対する敬意は忘れないでいたい。
祈りにも似た、そんな気持ちが、僕の心のどこかにあって、
その一部はきっと、あの時のカタリナ・ビットがくれたもの。
そんな気がするんだ。
(上の動画はドイツ国内選手権のものですが、リレハンメル・オリンピックの映像もYouTubeにアップされています。しかし、記事で触れたフリー演技の映像は、音声が二重になっていて演技に集中しづらいです。一応、下にリンクを貼っておきます。↓)
1994 Olympics LP(フリー演技)
1994 Olympics SP
1994 欧州選手権 LP
1994 Olympics LP(フリー演技)
1994 Olympics SP
1994 欧州選手権 LP