「他者」は形(form)としてしか存在しない。
他者という形を与えられなければ他者は他者としては存在しない。
「物質(material)」としては自己と他者の区別はない。
従って自己も「形(form)」としてしか存在しない。
では・・・形を与えている当のものとは何か。
感覚の総合体である精神が、
言語的思考によって形を与えられたものが「私」であるとは既に述べた。
では・・・この言語的思考はどのように現れたのだろうか。
どうやら「僕」は、その力を明らかにしなければならないようだ。
感覚の海に生じながら、感覚自体を統合し自己規定していくような力を。
(ベルクソンの云う「生の力」を考慮する必要があるかも知れない。)