感覚の世界 | 想像上のLand's berry

想像上のLand's berry

言葉はデコヒーレンス(記事は公開後の一日程度 逐次改訂しますm(__)m)

 
イメージ 1
 

カントが「物自体は認識できない」と言う時。

この認識する主体は何を指しているだろうか。

デカルトが「我思う」と言う時。

この我は何を指しているだろうか。

私の手が、この机に触れる時、

私は、この手の媒介によって感覚を得る。

感覚なき自我など想像もできない。

心身の分離不可能性は、そこから生じる。


これは言葉のミスリードなのだ。


「私」なるものは存在しない。

常に「我々」のみが存在する。

この手、この眼、この鼻、この舌、この耳。

感覚なき自我など想像もできない。

これら感覚が統合され「私」なるものが構築されている。

この統合されたもの(=精神/心)に

「私」という形を与えているのは思考である。

そして思考は言語によって形成される。

言語とは、まさに形を与えるものである。

つまり、「私」なるものは言語的思考によって与えられている。


これは言葉のミスリードなのだ。

私なるものが「私」と言う時、

そこには既に「我々」という意味が含まれている。