
我々は(個別のものの内から)「規範的なものを、他のもの(真に客観的な事物判断)のために」排除する必要も根拠もない。なぜならば物理的に測定可能なもののみが実在的と考える必要はない。-Hilary Putnam-(内的実在論)
今日の美学講義での一コマ。このセンテンスを読んだ時に、
先生は放射線などの目には捉えられない光線を例として挙げられたが、
放射線などは(測定器を使えば)物理的に測定可能だとも思える。
僕は量子論のことを思い浮かべた。実在の不確定性。存在の確率分布。
こういう考え方をする美学者って、やっぱり居るんだなって・・・
それでも、これを読んだ先生は違う捉え方をなされた。
量子論を哲学(美学)に適用することの難しさを感じた。
先生の解釈が間違っていると言いたい訳ではなく、
言葉を重視する哲学者にとっては、それが当然の捉え方なのだと思う。
なぜならば、言葉はデコヒーレンスするからだ。
あるでもないでもない等と言えば、まさしくナンセンスだ。
言葉は、事象を後追いすることしか出来ない。
状態そのものについては、何も言えないのだ。