理性によって世界の秘密を解き明かすことが出来ると、
そのように人は考えるかも知れない。
しかし、我々には確定できないものが存在するのもまた事実だ。
―「これは、ロゴスに対する戦いなのだ。」
『美と芸術』

「20世紀に美と芸術は疎遠になった」-John A. Fisher
美と芸術が疎遠だなどと僕は信じたくない。
自然は美そのものだ。
それは芸術も同じだ。
この果てしない宇宙の大海で、
たった一滴の雫のような星。
流れゆく日常の中で、
僕らが気付かないこと。
この果てしない宇宙の砂漠で、
たった一粒の砂のような星。
流れゆく日常の中で、
僕らの軌跡が奇跡みたいなもの。
自然と芸術・・・それは感覚にとってみれば、
屈折点が一つ増えただけの違いなのかも知れない。
もともと、境界線がハッキリしている訳じゃない。
その境界線が融けてしまうことだってある。
問題なのは情動なんだ。
心を揺り動かす情動。
すべての自然は美であり、
すべての芸術は美だ。
だから、僕らは情動を問題にしようではないか。
たとえ、それが普遍である美のように、
万人に共通するものではなかったとしても。
流れゆく日常の中で、僕らが気付かないこと。
流れゆく日常の中で、自然が、芸術が、
奇跡みたいな僕らの存在に語りかけること。
見慣れた景色も、
好きな音楽を流すだけで、
心を揺るがす風景に変わる。
見慣れた景色も、
時が経てば、記憶の中で、
心を揺るがす風景に変わる。
デュシャンの《泉》がくだらないのは、
それが美であるかどうかには関係なく、
それが心に語りかけないからだ。
それが心を揺り動かさないからだ。