聖母マリア像の変遷にみる絵画史-ロマネスク美術編-
第4章、ロマネスク美術
ロマネスク時代の区分は明確ではありませんが、一般的に11世紀中頃から12世紀末頃までがロマネスクの最盛期であるとされています。ロマネスク美術の中心は修道院であり、この時代の重要な芸術は、全て神に捧げられた芸術でした。また、封建領主の時代でもあり、個別化された多様性を持つ地方美術という側面もありました。しかし、あらゆる地域的な相違にも関わらず、ロマネスク芸術は国際的な統一様式でした。この時代は異教への勝利*1や、宮廷などに設置された学校の影響により、新たな文化の潮流が生まれました。
ライヒェナウ派
《マギの礼拝》部分
ハインリヒ2世の典礼用福音書抄本、1007~1012年
バイエルン州立図書館、ミュンヘン

第4章1:プレ・ロマネスク美術
カロリング帝国の崩壊後の不安定な時代に、秩序をもたらしたのは神聖ローマ帝国の初代皇帝オットー1世*2と彼の後継者たちでした。シャルルマーニュから連なる西ローマ皇帝としての立場上、アーヘンの余韻を強く残していたオットー朝の美術が目指したものは、カロリング朝美術の復活、さらに古代ローマ美術、初期キリスト教美術やビザンティン美術との融合でした。この時代には、フランスでのカペー朝*3の誕生、スペインでのレコンキスタの盛り上がりなどにより、西欧全体においても、ある一定の秩序が回復され、西暦一千年の夜明けと呼ばれる真の中世時代に入っていきます。
ここに掲載したのは、オットー美術の中心地の一つであったライヒェナウ修道院で制作された写本の装飾画です。オットー美術はカロリング朝美術の模倣美術でしたが、この装飾画も平面的で安定した構図や豪華な色彩など、古典的な要素を強く持っています。金地の印象がとても強い絵ですが、力強い輪郭線が人物の存在を浮き立たせています。
《マギの礼拝》部分
ハインリヒ2世の典礼用福音書抄本、1007~1012年
バイエルン州立図書館、ミュンヘン

第4章1:プレ・ロマネスク美術
カロリング帝国の崩壊後の不安定な時代に、秩序をもたらしたのは神聖ローマ帝国の初代皇帝オットー1世*2と彼の後継者たちでした。シャルルマーニュから連なる西ローマ皇帝としての立場上、アーヘンの余韻を強く残していたオットー朝の美術が目指したものは、カロリング朝美術の復活、さらに古代ローマ美術、初期キリスト教美術やビザンティン美術との融合でした。この時代には、フランスでのカペー朝*3の誕生、スペインでのレコンキスタの盛り上がりなどにより、西欧全体においても、ある一定の秩序が回復され、西暦一千年の夜明けと呼ばれる真の中世時代に入っていきます。
ここに掲載したのは、オットー美術の中心地の一つであったライヒェナウ修道院で制作された写本の装飾画です。オットー美術はカロリング朝美術の模倣美術でしたが、この装飾画も平面的で安定した構図や豪華な色彩など、古典的な要素を強く持っています。金地の印象がとても強い絵ですが、力強い輪郭線が人物の存在を浮き立たせています。
ウインチェスター派
《聖母の死》
大司教ロベールの司教定式書

イギリスではウインチェスター派が重要で、この地方でも様文装飾や色彩、構図などにカロリング朝の伝統を受け継いでいることが分かります。人物表現は無表情で単調なものですが、同時に様式化された洗練性の印象も受けます。
《聖母の死》
大司教ロベールの司教定式書

イギリスではウインチェスター派が重要で、この地方でも様文装飾や色彩、構図などにカロリング朝の伝統を受け継いでいることが分かります。人物表現は無表情で単調なものですが、同時に様式化された洗練性の印象も受けます。
《聖母マリア》部分
アプシス壁画、サン・クリメン聖堂、1123年頃
カタルーニャ美術館、バルセロナ

第4章2:壁画
ロマネスク美術の壁画はキリスト教建築の装飾として壁画であり、無関係のものを場面から排除した単純明快な図像を持ち、目で見る聖書としての役割を持っていました。また、この時代の絵画は、豊かな色彩と明確な輪郭線、平面的で線的な様式化された反自然主義的/表現主義的な描き方を特徴としていました。
ここに掲載したのは、カタルーニャ州タウイのサン・クリメン聖堂を飾っていた壁画です。極端に縦長に引き伸ばされた造形は、ロマネスクの基準から見ても特異ですが、原色の強い赤と青、そして白、激しい色彩の対比は、これこそがロマネスクと云えるものです。
アプシス壁画、サン・クリメン聖堂、1123年頃
カタルーニャ美術館、バルセロナ

第4章2:壁画
ロマネスク美術の壁画はキリスト教建築の装飾として壁画であり、無関係のものを場面から排除した単純明快な図像を持ち、目で見る聖書としての役割を持っていました。また、この時代の絵画は、豊かな色彩と明確な輪郭線、平面的で線的な様式化された反自然主義的/表現主義的な描き方を特徴としていました。
ここに掲載したのは、カタルーニャ州タウイのサン・クリメン聖堂を飾っていた壁画です。極端に縦長に引き伸ばされた造形は、ロマネスクの基準から見ても特異ですが、原色の強い赤と青、そして白、激しい色彩の対比は、これこそがロマネスクと云えるものです。
脚注
*1異教への勝利:イスラム勢力によるイベリア半島の進出に脅かされていた西ではトゥール・ポワティエの戦い(732)の勝利以降、キリスト教勢力の巻き返しが始まり、東ではビザンティン帝国が未だ強大な力を持っていました。そして、北ではノルマン人たちがキリスト教へ改宗。もはや西欧では、キリスト教の信仰を脅かすような異教徒勢力は、ほとんど存在しませんでした。
*2オットー1世(912-973):初代神聖ローマ皇帝。ザクセン朝ドイツ王として、各地を歴戦し国家統一事業を推進。また、異教徒マジャール人を撃破した功績や、教皇を救援した功績により、962年には教皇ヨハネス12世から神聖ローマ皇帝に戴冠されました。
*3カペー朝(987-1328):カロリング朝の断絶後、パリ伯のユーグ=カペーが開いた王朝です。
*4レコンキスタ(711-1492):国土回復運動とも。イスラムに占領されたイベリア半島を回復するため、キリスト教徒が開始した運動。1492年にグラナダが陥落するまで続きました。
*1異教への勝利:イスラム勢力によるイベリア半島の進出に脅かされていた西ではトゥール・ポワティエの戦い(732)の勝利以降、キリスト教勢力の巻き返しが始まり、東ではビザンティン帝国が未だ強大な力を持っていました。そして、北ではノルマン人たちがキリスト教へ改宗。もはや西欧では、キリスト教の信仰を脅かすような異教徒勢力は、ほとんど存在しませんでした。
*2オットー1世(912-973):初代神聖ローマ皇帝。ザクセン朝ドイツ王として、各地を歴戦し国家統一事業を推進。また、異教徒マジャール人を撃破した功績や、教皇を救援した功績により、962年には教皇ヨハネス12世から神聖ローマ皇帝に戴冠されました。
*3カペー朝(987-1328):カロリング朝の断絶後、パリ伯のユーグ=カペーが開いた王朝です。
*4レコンキスタ(711-1492):国土回復運動とも。イスラムに占領されたイベリア半島を回復するため、キリスト教徒が開始した運動。1492年にグラナダが陥落するまで続きました。
参考文献
・ルイ・ブルイエ 著、辻佐保子 訳『ロマネスク美術』美術出版社、1963
・ジョルジュ・デュビー 著、小佐井伸二 訳『ロマネスク芸術の時代』白水社、1983
・ジョージ=ザーネッキ 著、斉藤稔 訳『西洋美術全史6 ロマネスク美術』グラフィック社、1979
・L・グロデッキ/F・ウォーマルド/J・タルラン/F・ミュータリッヒ 著、吉川逸治/柳宗玄 訳『人類の美術 紀元千年のヨーロッパ』新潮社、1976
・『オックスフォード西洋美術事典』講談社、1989
・『ブリタニカ国際大百科事典』 Britannica Japan、2007
・ルイ・ブルイエ 著、辻佐保子 訳『ロマネスク美術』美術出版社、1963
・ジョルジュ・デュビー 著、小佐井伸二 訳『ロマネスク芸術の時代』白水社、1983
・ジョージ=ザーネッキ 著、斉藤稔 訳『西洋美術全史6 ロマネスク美術』グラフィック社、1979
・L・グロデッキ/F・ウォーマルド/J・タルラン/F・ミュータリッヒ 著、吉川逸治/柳宗玄 訳『人類の美術 紀元千年のヨーロッパ』新潮社、1976
・『オックスフォード西洋美術事典』講談社、1989
・『ブリタニカ国際大百科事典』 Britannica Japan、2007