温泉
西野流呼吸法では、「おへそから下は、温泉」という説明をします。
よほど、温泉に入っていないとなかなかその感覚は、再現できないかもしれません。
お風呂に入って、その感覚を味わっているかのごとくしても、どこか違うと頭の隅で
感じていました。
今回 温泉に入ってその違いに気づくことができました。
露天風呂に入ると、先客が入っています。その方は、何かを見ているような、感じているような風情。
神々しく、美しく邪魔をしてはいけない雰囲気です。
上半身はお湯から出て、顔はやや上向き、その視線の先にまだ、雪が残った山。
お湯は、硫黄泉。
お湯の中で、水圧を感じながら手を動かすと波が伝わっていきます。
「温泉」というのは、単に「お湯」だけのことではなく、山、地下のミネラル、地球の活動を皮膚に受けること全体を言っているのではないか。
そして、それを真摯に微細に敬意をもって受け取る状態のことを表しているのではないか。
温泉を山を大事に思っていることが、伝わってくる貴重な体験でした。
「おへそから下は温泉」という言葉に、あの風景を映し出すことが出来ること、
「華の人」にありがたく嬉しく思っています。
また、あらためて、先生の「温泉」という言葉を選ばれたことの深さを感じます。
追伸
かの人は、「彼の人」という意味で使おうとしたら、偶然にも「華の人」がでてきました。
華輪の華です。
地芯を感じて、緩めて華輪をしている人を、外側から見ると、「華」にみえます。
正中線が光になって、それを波紋のように放っていくような・・・
そういう華輪を行っていきましょうと言われたような