言葉

最近とても驚くことがありました。

 

それは、萩原直子さんのFacebookにありました。以下ご紹介します。

       雪の結晶    雪の結晶    雪の結晶    雪の結晶    雪の結晶

山口志道の「言霊秘書」は、国学第一の書(ふみ)です。

その附言には、「皇国は、もとより文字というものは無く、言霊の佐(たす)ける国にして、五十連十行のカタカナは神代の御書なり」と記されています。当書を活用して、ライフワークとして百人一首を読み解き、言霊を理解していきたいと考えています。

1、秋の田のかりほの庵の苫をあらみ わが衣手は露に濡れつつ

天智天皇(626-671) 

中大兄皇子 中臣鎌足と蘇我氏を滅ぼし、大化の改新を行った。近江に遷都し、即位後近江令を制定した。

【一般的な歌意】

刈り取られた稲の見張り小屋で、ただ一人で夜を明かしていると、葺いている屋根の苫の編み目が粗いので、私の着物はぐっしょりと夜露で濡れ続けていることよ。

【言霊秘書より】

P423

近年、国学者と称する者は、このワの音は万物の形をつかさどっているのに、自他ともにワという法則を知らないために、「わが」と言えば自分のことで他を指すことは無いと思っている。

それで上記の歌も「わが」を自分のこととばかり思うために、「わが衣手」の「わが」を天皇のこととしてら解釈してしまう。

こうしてしまうと歌の心を為しているとは言えない。

庵の苫(菅や茅を粗く編んだむしろのこと)の編み目が粗々しいため、天皇の御衣の袖が露に濡れたと解釈したならば、天皇が刈り干しをする目の粗い苫屋にいらっしゃることとなる。御衣が露に濡れたということで、このような小屋に御住居遊ばしたことになる。

このおかしさを回避するために、作り話をして「この歌は先帝の喪に服した時の歌だ」とか、そもそも天皇の御製ではないとか、これは編者の定家が詞の訛りを治して加えたとか、自分が歌の解釈が分からないとは言わず、憶説を設けて小賢しく言っている。今これを見るに忍びない。

自分以外には物を知っている者はいないとおごり高ぶったり、怠けたりして、勤めて古語を味わい、古人の心を探るということがないために、こうした無能の説を吐いてしまう。

「知らないことを知らないとせよ。これこそ知っているということなのだ」

という聖語に違う大罪人だ。頑愚が甚だしい。

今その誤りを正そう。

古伝の法則を見た時に、「ワ」は万物の形をつかさどり、「ワレ」「ワガ」と言うのは、自他の差別(けじめ)はない。

今上記の「わが衣手」とあるのはご自身のことでなく、刈干しする民のことである。

秋の田の刈干しする庵の苫を粗々しく作った時に、民が君に貢物をしようとして自分の手を露に濡らしながら、朝暮れ苦労することの優しさと、そうした民を深く思っている天皇のお心の御製である。

この歌は一首を何度も繰り返し読み味わう働きをなすと檄し、百首正解ではこの歌を感動感心してほめそやしている。

大変有名な天智天皇の御製の真の意味が分かりました。

 

(この後、萩原さんの感想を載せています。

 

この歌には、君と臣との関係性が明らかに描かれています。そしてこれこそが差別(けじめ)のあるべき姿なのだと感じ入りました。

平等を良しとして、君臣のけじめ、主従のけじめさえも無くす風潮が跋扈していますが、それこそが現代社会の混乱混沌の元であると最近の寺子屋では論じています。本当にそうなのだと思います。

百人一首を「言霊秘書」で読み解くことによって、今後様々な「真実」が明るみにされるのではないかと期待しています。

 

       雪の結晶    雪の結晶    雪の結晶    雪の結晶    雪の結晶

今まで信じていた歌の意味が違います。

 

古伝の法則では、「ワ」は万物の形をつかさどり「ワレ」「ワガ」は自他の差別(けじめ)がないというところ。

 

驚きました。!!

 

そして、この歌の美しいこと、心が澄んでいくようです。キラキラ

 

萩原さんの芯のある言葉にも心打たれました。飛び出すハート

 

百人一首の読み解き凄く楽しみです。

 

日本語の奥深さに驚きます。