SHOGENさんから
アートを通して、「日本人の素晴らしさを思い出して」と伝えているSHOGENさん。
タンザニアのブンジュ村は、「かつての日本人の暮らし」を今もしています。
「文献や空想でない実際にある暮らし」これに触れたら、もう「やむにやまれぬ」感情が、動いてしまいます。
しかも、自分の遺伝子の中にその暮らしが刻まれていて、日本語を通して今も虫の音がきれいなメロディーに聞こえる・・ありがたいです。
SHOGENさんは、ブンジュ村の人から、「今を生きていない人」と言われたそうです。
いつも、これからの予定を考えていて、今にいない人。
また、「SHOGENNは、作業の言葉しか言わないから、おもしろくない。どう感じたかを話せるようになったら、仲間に入れてあげるよ。」と子どもたちに言われたそうです。
SHOGENNさんだけでなく、作業の言葉や効率や不満足や比較でいっぱいの私たちの生活が浮き彫りにされています。
「作業の言葉の私」 「効率で判断する私」を
〈受け入れ〉〈認め〉〈ゆるし〉〈愛する〉と
・・・『かわいそう。そんなに急いでいたんだね。』と
「他と比べてがっかりしたり、偉ぶったりする私」「あれが無い、これが欲しいと騒ぐ私」を
〈受け入れ〉〈認め〉〈ゆるし〉〈愛する〉と
・・・『根拠が薄いね、普通のあなたで安定するよ。』
『いやぁいっぱい大切な物あったね。』と
ちっちゃい私を愛おしそうにみる私が、間髪を入れずに答えてくれました。
これがアスリートが「自分を信じる」という自分なのかな
生きとし生けるもの、自分のまわりのものに愛を注ぎ、愛を与えられた縄文時代のDNAの記憶なのかな
自分を愛するという発想は、こそばゆい感覚です。
「不足しているから頑張る」という教育を小さい時から受け、自分もそのことに疑問をもたなかったので、不足感は、ずっと続いてきました。
でも、私たちの祖先の人たちは、自分が一番のファンとなって自ら喜びを与えていました。
心に喜びを与えるということは、どういうことなのか。
人との関係をどう考えているのか。ブンジュ村での出来事は、それを具体的に教えてくれます。
これから、もっとブンジュ村での出来事を紹介していきます。
(ぜひYouTubeや書籍や作品などで、SHOGENさんと出会ってくださいね。)