野毛大塚古墳

世田谷区立郷土資料館の学芸員さんに、野毛大塚古墳についてお話をうかがいました。

 

子どもの頃遊んだ場所です。遊び場としての、公園の一部という捉え方しかしていなかったのですが。

 

一転しました。

 

『ここは、ある意味ランドマークとしての役目もあった。当時は、白い石に覆われていて、多摩川からもよく見えた。

 

古墳の主は、5世紀初頭の畿内政権と強い関わりをもっていた。高い軍事力をもち、多摩川流域を治めていた。

 

当時貴重な鉄器が多く埋蔵されている。かぶとも埋蔵されているが、それは畿内で作られた物と思われる。

 

全長82m,

帆立貝形古墳では、関東で最大級

 

円形から突き出ているところは、お祀りの場所』

 

などお話してくれました。

 

多摩川流域を治める方が、どういう関係を畿内の政権ともっていたのだろう?と思います。

 

あらためて、古墳を訪ねてみました。

晴れた日には、遠く富士山がみえます。この日は見えませんでした。

 

けれど、雲の切れ間から、日が射してきました。

 

多摩川は国分寺崖線の下を流れています。川は見えませんが、遠く家並が見えます。

 

夕方の心地良い風が吹いてきます。

 

ここにお眠りになっている方々に、祈りをささげ、しばし当時にタイムスリップ。

 

4基の埋葬施設の場所や埋蔵品の表示を見学。

 

 

鉄刀、鉄剣、鉄鏃、鉄槍、鉄製農工具、など貴重な鉄製品が埋蔵されていたことがわかります。

 

そして、鉄製品ばかりでなく,銅製の鏡やうでわ、玉類(勾玉,菅玉、丸玉・・)など

も埋蔵されていたそうです。

 

古墳から、テニスや野球で汗を流して、楽しんでいる人たち、遊具で遊んでいる親

子が見え、のどかです。

 

 

 

詳しく知りたい方は

 

野毛大塚古墳のことや世田谷区に関する石器時代から近代昭和の時代までの歴史や文

 

化資料が展示されている「世田谷区立郷土資料館」に行くと、リニューアル後きれい

 

にわかりやすく展示されています。