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ファッションにその時々の流行があるように、言葉にも流行がある。流行った言葉が時代遅れとなった時、人はそれを
死語
と呼ぶ…
また、それぞれの世代によって死語認識が違っていたりする。若く見積もっていたはずの人がポロッと口にした死語を聞いた瞬間、想定外の年齢を感じさせられて固まったという経験、意外と多いと思う。
素敵な30代女性である私には、めったに使わないけれど、本当は使いたくてうずうずしてしまう言葉がいくつかあるの、
こんばんわんこそば

きゃ!!言っちゃった!死語?死語よね?大丈夫、使わないように気を付けてるから。そう、心の中だけ。でも、本当はメールの冒頭に使いたい。こんばんは!だけでは味気ないでしょう?
次に、これも心の中だけで使っている言葉、
オタッキー
オタクと同義語のはずのこの言葉。オタクは今でも普通に使っているけれど、何故か以前よく使っていたこの言葉は最近はほとんど聞かなくなってる。どこへ行ったの?オタッキー。
でもね、オタクという響きとオタッキーという響き、意味は一緒のはずにもかかわらず、なんか違った印象を受けるの。
例えていうなら、
オタクがパックを開けたばかりの納豆とすると、オタッキーはそれを50回ほどかき混ぜてしっかり粘り気を出した状態の納豆
という印象を受けるの。微妙だけれど、何か感じる所があるこの違いは何?語尾の「ッキー」が若干気持ち悪さを増幅させるのかしら?でも、あれよ?
タッキー
は気持ち悪くないでしょう?同じく語尾に「ッキー」が付いているのに、全然受け入れらる感じ。むしろ、積極的に受け入れたいくらい。
ベッキー
もそう。全然話せる感じ。納豆とは無縁の、トマトとかキウイを連想させる爽やかさ。積極的に友達になりたい感じ。
あいつ、オタッキーだぜ!
小学性がからかうのに使っていた記憶があるわ。でもきっと、今の小学生は使わないわね。オタッキー。ただし、確実に存在しているわ、今でも。そう、感じるの。
ところで、自分で死語と認識しながら使っている分にはまだリアクションするのに困らないけれど、例えば、中年以上の方々が死語という認識のないまま、むしろ、ナウいと思って自信満々に死語認定されている言葉を発した時のこちら側のリアクションに困ることがあるの。
わかってる、50歳以上の方々から見たら、私はまだまだナウでヤングな存在。だから、ちょっとヤングな人たちのことを分かっているのだよというところを見せたくなるのよね、きっと。ええ、だからこそそんなナウな死語を言われた日には、心臓の鼓動が速くなるのを感じるの。
死語というより、死後を見る
的な?ナウなお父さん達もびっくりの素敵ギャグまで飛び出したりして?そんな気分にさせらるの。そういう時には、もうね、笑って流すしかないわ。そう、大人な対応。死語をも笑顔で受け入れる、海のような心の広さを持つこと。きっと自分も20年後30年後には、どこからどこまでが死語なのかわからない年齢になっているのだから。
でもね、寛大な心の持主の私でも、男性から、
イタメシ行かない?
と誘われたりしたら、流せないと思う。そんな時は、
ちょっとタンマ
と言って、考えるわ?考える時間が私には必要なの、色々な意味で。
書いてるだけで気恥かしさを感じずにはいられない…
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