何を間違ったのか?何十年も前の話である。ランボーで卒論を書くと言うと、大学院生のクラブの先輩に、女の人がランボーをやってもというようなことを言われた。なんで?面白そうで、ロマンがありそうなのにと思った。ともかく、論文が何か分かっていなかったけれど、「酔いどれ船」を解説した。それからずっと、そんなことを忘れて、フランスへ行き、帰って来て、フランス語から離れられず、アルバイトをしながら日仏学館で勉強してきて、このままではどうしようもないと思った。身分が定まらないことも辛かった。大学院が何をするところかは知らなかったけれど、受けたら、ある私立の総合大学が受け入れてくれた。親に大きな負担をかけるのが気になっていたら奨学金ももらえることになった。ランボー研究専門の先生に教わった。国立大学の大学院へ進んだ日仏学館の知り合いがランボーの研究をしていて、論文を書いていた。直接のランボー論ではなく、一人の作家を通してのランボーだったように思う。私は劣等生、無理と思った。修士論文は書いたけれど、フランス語の作文練習になったという類のもので、短くまとめられず、読まされた先生には迷惑な話だったと思う。日仏学館で机を並べた人たちは優秀な人ばかりで、次々に大学への就職を決めていった。私は、大学、短大、専門学校の非常勤で大学院を出た途端、生活が出来るようになった。嘘のような話で、全て日仏の友人達を通しての話である。博士課程で妹の問題があって、論文が書けなかったのにである。苦手な英語、それも英会話を教えながらではあったが。

 そんな中で、ランボー没後100年を迎えた。フランスでは様々な全集が組まれ、日本でも様々な文芸誌が特集を組んでいた。ただ、私が待ち望んでいた胸のすくようなものがなかった。相変わらず怪しげな、想像された伝記に基づくランボー論が語られていた。自分の無能さ加減はわかっているけれど、人に期待するばかりではいけないと、「見者の手紙」から類推できるランボーの読書遍歴を調べることにした。ギリシャ語、ラテン語の優等生なら、ギリシャ哲学は読んでいるはず、詩や詩人について書いている哲学者はプラトン、アリストテレスがいる。モンテーニュがギリシャの詩人観を語っている箇所を面白がって、教師のイザンバールに語ったという話がある。ともかく、プラトンを読もうと一冊づつ全集を揃えて読んでいった。驚くような発見があった。ランボーはプラトンの哲学を詩に読み込んでいたのである。それだけではない。ボードレールの用語やバンヴィルなどの詩人達を詩の中に読み込んでいたと考えられるのである。バンヴィルが好んだトリオレを用いた理由もわかった。伝記に引き寄せた通説が覆った。伝記として語られる5月のパリ行きも多分あり得ないことになる。脈絡のないと思われた詩のタイトルの変遷もプラトンから説明がついた。30年以上前のことである。その時期に「正義の人」はヴィクトル・ユゴーのことであるという説を出した人がいた。ユゴーの詩が読み込まれているというのである。私と同じやり方をしていると思った。ランボーの当時の詩法が見えてきた。

 個人的な理由による長いブランクの後、新しく気がついたのは、ランボーがバンヴィルに送った詩『花について詩人に語られたこと』でAlcide Bavaと署名されている部分について、Alcideはアルフレッド・ミュッセのものとされる艶本『ガミアニ』に登場する青年Alcideらしいということだった。Bavaはもちろんランボーが多用しているbaverという動詞の単純過去で「詩を書いた」あるいは「心情を吐露した」の意味になる。Alcideはヘラクレスの別名だと言う説があるが、ランボーの他の詩でヘラクレスはヘラクレスで言い換えてはいない。花をわい雑なものにして語るこの詩をランボーが見者ではないとするロマン派の詩人ミュッセのものと言われている艶本に登場する青年の書いたものとするランボーのアイロニーを見るのは面白い。ただこれは既に誰かが言い出している気がする。友人ドラエーがシャルルヴィルの図書館でランボーは司書の顰蹙を買うような本ばかりを借りていたと書いている。そこに『ガミアニ』があったと考えて不自然はないだろうと思う。

 ランボーの用いている比喩などは理系の詩人という言い方がぴったりくるだろうか。この時期、詩を作る局面で言葉を操るやり方は信じられないほどに論理的、鋭角的で、他の詩人の技法や用語など巧みに取り込んでいる。一昨年、Alcideのことは論文に軽く書くつもりが没になった。どこかに書いておけば、これからの研究者やランボーの読者の役に立つように思うので取り敢えずここに書くことにした。きちんとした形では、今までの研究も含めてまとめなければと思っている。

 フランスの詩が読めるようになるまでにどれだけの時間を費やしただろうか。私は落ちこぼれと思っていた、いや実際今でもそう思っているのだが、言いたいことだけは言えるようになった。長い時間が経った。

そして、私にとってのランボーは変質してきた。徐々にクリアなイメージを結ぶようになってきている。生意気な大人を大人と思わない典型的なフランス人の頭の良い文学少年が今目の前にいる。背の高い青い目の美しい少年である。