こんばんは!

いつもありがとうございます。

満月ですね。エネルギー酔い氣味です。(笑)

ムスメとダンスして、ちょっと発散しときました。




そうそう、昨日、久々に、近くの弥生の森で、

大賀ハスを見てきました。
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ちょっとお疲れモードな蓮さんでした…。

そういえば…

何年も、琵琶湖岸に13haほど広がっていた蓮畑が、

数年前から、琵琶湖の水質の変化の関係でしょうか…

全く咲かなくなっているとか…





私自身にも、変化があって…

無性に蓮の花に惹かれて、癒されていた時期を過ぎ、

あまり、見に行かなくなった時期とも重なるので、

どうなっているのか、なにがあったのか、

ちゃんとみてなくて、感じられてもいないのですが…

大きな時代の変化の中で…

蓮さんも、なにか、ひとつ、お役目を終えたのかな

とか、空想したりしています。





蓮さんには、お世話になったから…御礼に…

蓮さんが活躍した空想物語をつくってもいいかな…?

なぁんて勝手に思ったりしています。
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喜んでもらえて、楽しめたらいいんだよね!






さて、前回からの記事の続きです。

思いのほか、長くなっちゃってますね。

自分でも、ちょっと驚きと とまどいがありますが、

書きとめておくのも、意味があるのでしょう。

すべての経験は、宝物です。

そんな風に思える今があるのも不思議ですけど。






過去に3回の流産を経験し、

抗リン脂質抗体症候群の疑いあり、と言われながら、

結婚19年め、45歳で、なんの治療もしてないときに、

奇跡の自然妊娠が発覚し、どうして出産できて…キラキラ

今がベストタイミングだったんだ、って言えるのか、

という話で…





初めての妊娠〜流産〜胞状奇胎の疑い…にまつわる

エトセトラのコトを書いてきました。

まぁ、ホント、いろんなコトが起こったので、

(こんだけ書いても、まだ書き切れないぐらい

赤ちゃん欲しいな…って思いながらも、

妊娠がとてもこわくなっていたりもしてました。

一連のゴタゴタで、病院不信にもなってたし…





なので、胞状奇胎の疑いの経過観察が終わった後、

もう、妊娠にトライしてもいいですよ、ってなっても、

すぐには次の妊娠にはならなくて…

2回目の妊娠発覚は、4年後だったと思います。

33〜34歳ぐらいの時でしたね。





2回目に妊娠するまでの数年の間には、

別の産婦人科さんに相談に行ったりもしてましたが、

女性ホルモンの錠剤を服用するとか…

排卵誘発剤の注射をするとか…

そんな感じの治療段階で、気分が悪くなったり…

注射の後、意識を失いそうになって動けなくなったり…

ってなことが多々あり…

あまり、継続することが出来ませんでした。





お医者さまいわく、

そんな風に気分が悪くなるとか、

意識に障害が出るような薬じゃないんやけどなぁ…

っていう不思議な症状だったらしいです。

(のちにわかるのですが、自分に合わないコトは、

    意識が気づいてなくても…

    身体が全力で拒否してくるんです!





そんなことで…

2回目の妊娠も、自然妊娠でした。

発覚した時は、こわい気持ちが嬉しい気持ちを

凌駕していました…。





『初めての妊娠のときみたいになったらどうしよう!』

このときも…

在宅でインテリアプランを受ける仕事をしてたので…

いつ、相手方に伝えて、いつ、仕事を受けるのをやめるか…

とか、すごく考えて悩んでいました。




今、振り返ると…

そんなコト、たいした問題じゃなくて…

なるようになることだったんですが…

っていうか… 自分がコントロール出来ないっていうか…

なるようにしかならないし、私が考えることではなかったんですよね。

まぁ、でも、そういうことにばかり、エネルギーを使って、

ひとり勝手に悩んで、疲れてた氣がします。






コレといって、病名がつけられてたわけではありませんし、

本人は、精一杯、健全に生きてるつもりでしたが、

健康とは言い難い生き様だったのでしょう。





(のちに、天の我が子たちからのメッセージでわかるのですが、

あの時期、私のそういう生き様を、

クリアリングする必要があったそうです。




原因はわかりませんでしたが…

2回目の妊娠も、発覚後、数週間で不正出血があり、

安静を言い渡され、自宅でなるべく横になっていたのですが、

日を追うごとに、出血量が増えてきて、

数日後に、強めの腹痛がきて、自然流産となりました。





2回目は、自宅で起こったコトですし、

自分たちでは、判断できなかったので、

休日診療を受けに病院へ行き、内診してもらったら、

赤ちゃんの袋がなくなって、見あたらなくなったから、

残念ながら、流れちゃいましたね…と診断されました。




不幸中の幸いだったのは…

子宮内に残留物がなかったコトで…

手術等の処置は不用です、と言われたコト。

最初の流産で、流産には掻爬手術がセットなのだ、

と思い込んでいた私は、

あの、なんとも言えない…えぐられるような鈍く重い痛みを、

もう経験せずに済む、というのは、救いでした。






我が子は、私の身体のダメージを最小限に抑えてくれつつ…

氣付かなければならないコトには、

ちゃんと氣付くようにしてきてくれました。

申し訳ないくらいにありがたいコトでした。

(とはいえ、氣付くまで、まだ何年もかかったのですが…




そして…

2回目の妊娠は、夫婦以外には、誰も知らない段階で、

流産となったので、周りの人たちへの悲しい報告もせずに済み、

精神的にも、最初の妊娠〜流産のときより、救われました。

取り乱さずにいられました。





しかし、やっぱり、連続流産は、悲しいし、申し訳ない。

なにが悪かったんだろう…?どうして…?


医学的には、流産の6割は原因がわからない状況、と言われてた時代…

(今もそうなのかな…?)

理由がわからないだけに、悩み、探求するコトになります。

その道程で、さまざまな幸せを感じ、視野が広がって、

本来のありのままの存在を思い出しはじめるのです。




続く…