「世界を変えたい」
そう思ったことはあるだろうか。
この世界の構造も、
個人の出来事や感情も、
すべては歯車の動きとして成立している。
出来事が起き、
感情が生まれ、
選択がなされ、
結果が連なっていく。
それは偶然や意思の集合ではない。
噛み合った歯車が回っているだけ。
誰かが
「世界を変えよう」と意図しても、
歯車そのものを直接変えることはできない。
力を加えても、
操作しようとしても、
構造は動かない。
しかし、
前提が変わったとき、
理解の位置が変わったとき、
成立は静かに更新される。
新しい前提には、
新しい歯車が用意される。
同時に、
役目を終えた歯車は、
外されるのではなく、
ただ使われなくなる。
だから、
何かを知ることが
無意味なわけではない。
ただし、
知識を使って
世界を変えようとすると、
何も変わらない。
それは歯車を
操作しようとする態度だから。
一方で、
その「何か」が
前提や理解の向きを変えたなら、
その影響は
個人の内側に留まらず、
歯車の連動として
世界に波及していく。
それは
変えようとした結果ではない。
成立が変わった結果。
世界は操作できない。
けれど、
成立は更新される。
更新は、必ず連動する。
歯車が変われば、
動きが変わる。
それだけのこと。