こんにちは、守田のり子です。

 
いやぁ、

もうすっかり忘れたつもりになっていた、

おばあちゃんの事。

書き始めると、どんどん湧き出して来るもんですねあせる

昨日は、自分で、自分の記事に、

やられてしまいましたパンチ!


さて、続きです

「悪者②」



私が小学校卒業間近の頃、母が病気になりました。


父が失踪してから働きづめで、

家族の色んな問題も重なって

心身ともに限界が来ていたのですダウン


以前からあった子宮筋腫が、

赤ちゃんの頭くらいの大きさまで肥大し、大量出血。

手術が必要となったのです。


それに伴う検査で、

かなり進行した卵巣がんも見つかりました。



当時は、今と違って

「がんは不治の病」と言われていました。

がんになったら必ず死ぬんだと、

誰もが思っていた時代。


現代では、患者に病名を告知して、

医療チームや家族と協力して

一緒に治療していくのが一般的でしょう。


しかし35年前は、患者には告知されないのが普通でした。


主治医は、母の母であるおばあちゃんにだけ、

本当の病名を告知していたのです。


当然、母は子宮筋腫だと思って入院しました。

小学生だった私と弟もそう聞かされていました。


母のいない小学校の卒業式と、

中学の入学式を終えた頃、

あばあちゃんが私に言いました。

 
「あんたのお母ちゃんは、もうじき死ぬ。

あんたら(私と弟)には

お父ちゃんが居てないねんから、

もう誰も面倒見てくれる人はないで。


そうなったら、あんたらには施設に入ってもらうからな。

そして、中学卒業したら、あんたはすぐ働いて、

弟の面倒をみなさい。」



目の前が真っ暗とは、こういう事でしょうか。


大好きなお母ちゃんがもうじき死ぬ。
。。

それだけでも、充分ショックなのに、

“施設に入ったらどんな生活になるんやろ”

“今どき、中卒でどんな仕事につけるんやろ”

“もっと勉強したい、 高校まで行きたい”

“中学を出ただけで、弟と二人で生活していけるんやろか”


私の中で、色んな考えがグルグル回り、

めまいがして倒れそうでした。


YESともNOとも答えられないまま

その場で立ち尽くし、

悲しいのに、涙も出ませんでした。



さらに悪い事に、おばあちゃんは、

同じ事を、入院中の母に言いに行ったのです。


手術したばかりの母に

「あんたはガンやから。

あんたが死んだら、あの子らの面倒は見いひんからな。

施設に預けるから。」と。


手術は成功したのに、

おばあちゃんがお見舞いに来るたびに、

母の体調は悪化していきました。


おかしい、と思った看護婦さんが、

母に事情を尋ねました。


事情を説明した母に

「きっついお姑さんやなあせる」と同情してくれた

看護婦さん。


「姑じゃなく、実の母です。」

言うたら、ひっくり返りそうになったそうです叫び


それ以降、おばあちゃんは

病院にお出入り禁止ビックリマークになったのです。


冗談ではなく、実話です(>_<)



あぁ、吐きそうになってきたドクロ

もうこの辺で、今日はご勘弁を。。。。



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