きれいごと。-ちょっとシュールな妊娠ブログ- -33ページ目

きれいごと。-ちょっとシュールな妊娠ブログ-

口に出さないで終わりそうなきれいごとを綴っていくブログ。
といいつつ、日常のメモも兼ねる予感。
主に、妊娠・出産・子育てがテーマ。書き手は、けっこう重度なアトピーを持った不健康な妊婦です。

一日中泣き暮らしたあげく、私は決意した。


子供を産もう。
仕事を辞めよう。


正直、それでいいのか、よくわからなかった。
それでも、そのときはこれが、一番後悔のない選択肢に思えた。

子供をおろしたくない。
両親が揃っていて、住居もあって、金銭的にもカツカツじゃないのに子供をおろすなんて、出来なかった。
それに、人工中絶をすれば、その後の妊娠が危うくなる。
ましてや、子供を持ちたいという願望のなかった自分だ。
仕事があるうちは「まだ、もう少し」と、この先妊娠を拒否し続けるだろう。
結婚前から、子供を切望していた旦那。
おろすぐらいなら、離婚しようと思った。

子供を産むと決めた以上、今の仕事を続けられる可能性はあまりない。
つわりによる欠勤の多さ。
職場の危険度。
代替できるような部署も存在しない。
産前産後の休暇を取って、育児休暇もとったところで、片道1時間、15時から22時勤務の仕事をしながら子育てできるかは、かなり怪しかった。
いい職場、いい仲間だった。
社員を目指したかった。
だけど、もう、辞めよう。

この先子持ちで、きちんとした仕事に就けるかわからない。
アラサーで、これといった資格もない。
世の大半のように、お金のために仕事について、パートやらアルバイトをつないでいく日々になるかもしれない。
もう二度と、自分のために働く時間はこないかもしれない。

でも、もういい。
結婚して名字が変わったときに、それまでの私は死んだのだ。
今の私は、旦那と子供ありきの、新しい人生を生きていこう。
夢も目標も、そのなかで改めて探そう。
割り切れ。別人になったと。


そんな風な消去法で、そんな風な論法で。
私は私自身を納得させた。
怒ったまま帰ってきた旦那にも、そう説明した。
旦那は
「本当にそれでいいのか」
と何度も聞いた。

それでいいかなんて、わかりゃしない。
死にたい気持ちになった。

本当はもっと戦う手段があったのかもしれない。
なにも諦めない手段が。
でも、私にはこの決断が、実行できる精一杯だった。
実行できなければ、決断してないのと一緒だから。

何度も何度も気持ちを翻しそうになりながら。
何日も何日も泣きながら過ごして。

10月31日付けで、私は退職した。

11週。
胎児の姿が確認できた。

生きていた。
育っていた。

医者にいわれるままに市役所にいき、母子手帳とマタニティーマークを貰う。
12週目にははじめての記入。
私は「母予備軍」になった。

けれど。

つわりは悪化の一途を辿る。
幸い、魚介類と一部のフレーバーをのぞいて、食べられなくなったものはなかったけれど、
ヒトの臭いはますますだめになっていた。
駅では必ず嘔吐。
電車はどんなに空いていても6駅が我慢の限界で、
途中下車しては、吐いて、吐かないために極限まで水分を控えて再乗車しても、また下車、嘔吐。
片道30分のはずの乗車時間は、1時間半かけても目的地にたどり着かず、
途中駅のホームから欠勤の電話をする日も増えた。

這うように職場についたらついたで、待っているのは30kg相当の荷物をあげさげする作業。
吐いてばかりで、食欲も減退し、腹にも腕にも力が入らない。
かわれるような軽作業の部署もない。
現場には300kgの台車が右往左往し、自分が気をつけていても、いつ身体に当たるかわからない。
退職をすすめる上司と親族たち。

けれど、私には夢があった。
3年間の勤務を経て、この職場で社員になりたい。
そう思っていたのだ。
幸い、アルバイトでも産前産後、育児の休暇はとれる。
となりの課では、それを利用して無事出産した女性も居たと聞く。
やってやれないことはない。

そう思って、いたのに。


ある休日。旦那は休みで、私は出勤の日。
私の出勤時間前に、旦那が「気分が悪い」と言いだし、布団に横になった。
心配で、そばにつく。
勤務帯の関係で、ゆっくり話せるのは週に1日だった新婚生活。
比較的安らかな寝顔を見ていたら、どっと疲れがでた。
妊娠初期、つわり以外に、恐ろしいほどの眠気もくる。
気づいたら、私は旦那の横で眠っていた。

目覚めて、激怒する旦那。

「こんなことで仕事を休んで迷惑をかけるなら、辞めてしまえ」

大学卒業からずっと、同じ職場に勤めている旦那。
部下を持つ立場で頑張っている旦那。
気持ちは痛いほどわかった。
端から見たら、甘ったれの怠け者だ。
でも、
わかってほしかった。
やりたいのにやれない、この現状を。
自分の心と意志と身体がバラバラで、収集がつかない私を。

旦那が心配だったから。
とてつもなく疲れていたから。
寝てる間にもたくさん吐いたから。
またあの苦行のような電車に乗るのが嫌だったから。
言葉に出来るのは、社会的には理由にならない理由ばかり。
結局、私の心はとうにズタズタだったのかもしれない。

「妊娠で仕事ができないことを悔やむなら、おろしてもいい。きちんと決めろ」

そう言い捨てて。
怒りさめやらず、旦那は家を出ていってしまった。


私は泣いた。
自分の言葉も心も伝わらない徒労感と、やりたいことがなにひとつ出来ていない自分への嫌悪感でいっぱいになりながら、
布団を被って、延々と泣いた。
妻の辛さより、正論を大事にする旦那に悲観したりもした。
もっとわかってほしいのに、もっとそばにいたいのに。

それでも。
決断しなければならないということだけは、私にもわかっていた。
仕事に行きたい。行けない。
夢を叶えたい。でも迷惑をかけている。
子供を産みたい。産みたくない。
収まらない感情の嵐のなかで、私はなんとか答えをまとめようとしていた。

10週ごろ、私は苛立っていた。


8週のときに、妊娠検査薬が陽性。
その翌日産婦人科に行って検査。結果、

「妊娠反応は陽性ですね」

と、あっさり言われる。ただし、

「胎児がまだ見えません。正常な妊娠である可能性の他に、流産、子宮筋腫等の病気の可能性があります」

という、シビアな診断も頂いたのだ。

つまり……受精は確かにしたらしい。
そういうホルモンは出ている。
けれども、出産に繋がるものかどうかわからない。
というか、2/3の確率で子供はいない。さらには、今後子供が出来る確率も低い身体であると証明されることになる。

どっちなのか、どうなのか。


9週ごろの診察でも、エコーにはなにも映らなかった。
見えるのはソラマメの形をした、頼りない子宮だけ。

なのに、身体はつわり状態。
決まった味の飴しか食べられない。
食欲がなくなり、体力が保たない。
疲れやすい。
力が入らない。
ヒトの臭いがだめになり、駅では必ず嘔吐。
マスクをしても、飴をなめても効果は薄い。
電車やバスを乗り継いで片道1時間の通勤が、フルマラソンのごとき距離に感じられ、
途中下車をして、トイレに駆け込んでは、じわじわ職場に近づくしかなかった。
当然遅刻だらけ。
心が折れて休む日も出てきた。

こんなにつらいのに、迷惑かけてるのに……赤ちゃんがいないかもしれないなんて。
下手したら手術。摘出。本当の不妊……。

嫌な気持ちばかりが渦巻いて、離れない。
仕事に打ち込めていれば、気が紛れたのかも知れない。
けれど、行きたいのに行けない、動きたいのに動けない状態。
悪阻というほどひどくもなく、診断書を貰ってどうこうする程度でもない。
旦那にも、率直に経過を告げていたものの、
本当なら手放しで喜びたいだろう旦那の気持ちを考えると、やりきれなかった。
毎日が自分の心との戦い。

いろいろなものが摩耗していった。