面白い小説を読み、誰にすすめようか、誰から貸し回そうかと考えながら、満面の笑みを浮かべて顔をあげると、視界のかたすみに小さな生命体がうつる。
厚手の綿と大判のタオルに埋もれて、わすがに上下する塊。
我が子、生後5ヵ月。
正直、この生命体の扱い方がまだ、私にはよくわからない。
わからないが、基本、ただ寄り添っていればいいようである。
四六時中そばにいるのはしんどいけれど、そばに居さえすれば、なにをしていてもいいらしい。
今のところは。
そばにいれば、食事をしていようが、本を読んでいようが、まどろんでいようが問題ない。
時折声をきき、声をかけ、ちらりと視線をやればいい。
のっぴきならない用事があるとき、注目されたいときには、勝手に全力で呼んでくれる。
ずる賢く育ってしまった大人のように、無言ですねたり、気のないふりをすることはない。
求めるがまま、求めるだけ。
運悪く対応出来ないと(眠い、トイレ、なまもの調理中など)、この世があと10秒で終わるかのごとく泣かれるが、
抱き上げ、歌い、目と目を合わせれば、もう満面の笑みを浮かべる。
正直、簡単には辞められないが、世界で一番簡単な職業じゃないかとすら思う。
思うだけで、実際のところ、自分は毎日逃げ出したくなっているけれど、
やっぱり、そう、思う。
普通の生活。
誰にも気をつかわず、最低限の服装で、すきなものをすきなときに食べ、出来る限りをだらだらのんびりと過ごす。
化粧もスーツもいらない。満員電車も残業もない。接待もおせじも心無い謝罪もない。
ただ求められるのは、即時対応と無限大の応用力・体力、それと根性。
うん、だから、私には向いていないのかも、と書き出してみて思うが、
やりがいはある。
誰の評価も問題にならない、自分だけの地味な戦い。
それにしても、赤ん坊は偉大だ。赤ん坊は活力の源だ。
赤ん坊がそこにいれば、気難しい親父もオロオロうろたえ、寝たきりの老婆も、ちょっと歩行訓練しようか、なんて気分になる。
社会に出ても、みんながみんな、こんなに元気で素朴でストレートに生きていれば、
モノを吐いたり、手首を切ったり、人を無闇に傷つけたり騙したりしないんじゃないか、とさえ思う。
もちろんそれは、人の手を離れて肥大していく「社会」に適応していくことと、相反する願いではあるのだけど、
忘れてはいけない姿勢でもあると思う。
こんな視点をもたらしてくれた我が子に、
私は心から感謝を述べたい。
これから先、ささいなことでも、そうでないことでも、
いちいち驚き、うろたえ、壁に顔面を強打したような気分になるのだろうし、
私と我が子の関係が、どういう道程を辿って、どこに落ち着くのか、さっぱり見当もつかない。
けれども、やっぱり私は我が子を愛しているだろうし、
我が子もどこかでは、今私に満面の笑みを向けるその気持ちを、死ぬまで忘れないでいてくれると思う。
たとえそれが、遺伝子に組み込まれた、生命の本能であったとしても、
こんなに幸せな気持ちになれる瞬間があるんだもの、それでいいじゃない、と、私は思う。