青と白の日々/バツイチ“コブスキ”の音楽雑感記-ファイル0002.jpg

昨日、成人式だったので、それをネタにして記事をひとつ…と考えてみたら、さすがに16年前の出来事、ほぼ覚えてません。覚えているのは、何となく地元の友人とダラダラ式場に出掛け、そのままダラダラと呑みに行った、ということくらい。特別な感慨も無かったように思います。

そもそも、成人式を迎える段階で酒もタバコもアレも既に済ませてしまっていたわけで、明確に成人式前と後で何が違うのかというのが分からなかった、というのが正しいかもしれません。個人的には選挙権が貰えることと、国民年金の請求書が来るようになったことが違うとこ、ってな程度。だいたい、今、ボクは36歳ですが、16年後の現在ですら、自分が「成人」しているとは、とても思えない。

そんなこんなで、「あんなもん、無意味だよな」と思わなくもないんですが、それでもこの日本独自の制度をFAB4に当てはめ、「前年の成人式翌日から成人式当日までに二十歳になった人」という出席規定(現在はどうも学年区切りのとこもあるらしいですが)に則して考えてみます。すると、1940年生まれのリンゴとジョンが1961年、1942年のポールは1963年、1943年生まれのジョージは1964年に成人式を迎えたことになる。つまり、ポールとジョージは成人式を迎える前にデビューを果たしていたことになります。

これって、冷静に考えたら凄いことだよな、と思います。特にジョージに至っては、デビュー時から2枚のアルバムをリリースし、アメリカで大旋風を起こしていた時ですら、「未成年」だったことになる。

勿論ジョージも成人式前にとっくに酒もタバコもアレも、ついでにドラッグも済ませていたわけですけど、それよりも凄いのは、既にこの未成年の時点で「成人」のプレイを聴かせていた、ということ。

改めてビートルズの楽曲を聴いて痛感するんですが、一般的に所謂ギターヒーロー的に扱われない、仮に扱われても、ビートルズ末期からソロ以降に多用するようになるスライド・プレイのみ、というジョージですが、聴けば聴くほどに、「ビートルズのギタリストはジョージでなくてはならなかった」と思います。楽器がまるで出来ないボクでも、ジョージが所謂テクニシャンでないことは分かりますが、例えば当時の他のバンドにいたギタリストと比しても、ジョージのプレイには特別な個性が見えます。

それは「ギタリストのためのソロではなく、曲のためのソロを弾く」という点。

例えば成人式前の「プリーズ・プリーズ・ミー」「ウィズ・ザ・ビートルズ」及びシングル曲にしても、ジョージのソロは決して「しゃしゃり出る」ようなものがない。それは単純にテクニックが無かったとか、1曲2分程度の長さの中でギターソロを長々出来ない、という問題も無くは無かったんでしょうけど、どうもそれだけで説明がつくようにも思えない。

例えば〈ALL MY LOVING〉、例えば〈TWIST AND SHOUT〉、例えば…と挙げていけばキリがないんですが、かなりコンパクトなギターソロのスペースにおいて、ジョージは(テクニカルな意味ではなく)「流れるようなギターソロ」を披露しています。ギタリストとしての自我を敢えて抑え込んでいるような地味なプレイに思えますが、曲というものを総体で捉えた時に、その流れがギターソロという名の自己主張で寸断されていないことにも気付きます。

ジョージはあくまで「バンドのギタリスト」だったのだと思います。個性と自己主張の塊のようなジョンとポールがいたからこそ一歩引いた、という考え方もあるかと思いますが、ボクはジョージが大人として、未成年ながら「成人」として、何よりもバンドを、曲を生かすためにどんなプレイをすべきか、冷静に考えた結果、あのようなギターソロを奏でていたのだと思います。そうでなければ、あれほどまでに曲にハマったソロを弾ける、選択出来るとは思えない。


要するに、成人式を迎えようが迎えまいが、人は資質や成長過程によって、年齢に関わらず成人する人もいれば、いつまで経っても成人になれない人もいるんだろうと思います。〈THIS BOY〉のコーラスの最後に聴かれる、一般的な尺度ではソロと言って良いのか微妙な、しかしやはりこの曲に相応しいギターはこれしかないと思わせるジョージの「分かってるプレイ」を聴きながら、ジョージの成人ぶりへの驚嘆と、自分の未成人ぶりへの落胆を感じ入る2011年の成人の日でした。