病院への不信感② | ☀︎雲の向こうはいつも青空☀︎

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2014年に母がスキルス性胃がんで他界したのをきっかけに、翌2015年から始めたブログ。あれから年月が経ち、今は日常のことをぼちぼち綴っています。


父のモヤモヤ二つ目は、市民病院で母が亡くなった時のこと。


父はその2日前まで泊り込みで付き添ってたし、私達も毎日病院へ行ってた。

もちろん母が急変なんかしたらすぐに連絡をもらえるはずで、最期は一緒にいられるものだと信じ込んでた。


でもその日に来たのは「呼吸が止まってる」という連絡だった。

母は一人きりで誰にも看取られることなく逝ってしまった。


なぜ誰も母の急変に気づかなかったのか。

入院してる意味があったのか。


日曜日で先生は不在、看護師さんと助手さん合わせて5人だけだったから?

だから目が行き届かなかったのは仕方ないことなんだろうか?
ベッドはガラ空きだったのに。

数日前に心電図モニターをつけようとしたら母は拒否したらしい。

「モニターをつけてればナースステーションで監視できたんだけど」と言われた。

機械任せか?

モニターしてないなら直接様子を見に行くこともできるじゃないか。
それもナースステーションの目の前の個室だったんだからなおさら。

「18時に食事を持って行った時は眠ってました」って…その後19時に呼吸が止まってることに気づくまでほったらかしだったのか?



母の元へ駆けつけた時、父はよほど看護師さん達にそれを言おうかと思ったらしい。


けどそこは平和主義の父。

「看護師さん達が気まずそうな顔してたからやめた」(;^_^A



私にも父と同じ気持ちはあった。

なんで誰も気づいてくれなかったのって。


でも、看護師さん達には感謝の方が大きかったから。


普段から気さくに接してくれて、母のわがままも聞いてくれて。

娘のことも可愛がってくれたし、そのおかげで病室はいつも明るかった。

妹のフォトウエディングの日、車椅子に乗って会場へ向かう母と私達を、看護師さん総出で拍手で送り出してくれたことが忘れられなかった。

中にはルーズな人やそっけない人もいたけど(まぁそれはどこの病院も似たようなもので)母の担当をしてくれた看護師さん達はみんないい人だった。

その人達がたまたま少ない人数でバタバタして母の急変に気づかなかったからと言って、どうしても責める気にはなれなかった。


そしてなにより先生が素晴らしい人だったから。

いつも母の状態を最優先で丁寧に診てくれたし、私達家族の気持ちにも寄り添ってくれた。

母の死亡確認をこの先生にしてもらえなかったのが残念って思ったくらい素敵な先生だった。
(先生は日曜日で遠くに行っていたため来られなかった)


先生がしてくれたことを思うと、最後に事を荒立てるようなことはしたくなかった。



あーなんかこうやって書いてると色んなこと思い出すなぁ…ぐすん




母は一人で静かに旅立ちたくて、母の病室には誰も寄せ付けないオーラみたいなのがあったのかもしれない。

先生がいなくて看護師さんも少ない日曜日だったのもわかる気がする。

それってなんだか母らしいよね。


父とよくそんな話をするけど、私が割り切ってるほど父はスッキリしていない。

「あの日、オレが病院に残ってれば気づいてやれたかもしれないのに…」

たしかにそうだけど、一人になりたいっていうのは母が望んだこと。


「待合室にでもいれば良かったか…」

待合室にいたら急変に気づくのは難しい。
それこそ3分置きとか5分置きに様子を見に行くくらいじゃないと。


母が望んだことなんだからどうしようもないって思うけど……。



やっぱり寂しいんだろうな。

母が一人で旅立ったこと、夫である自分がそばに居てあげられなかったことが。



父にはきっと納得する日なんて来ないんだろうな。

それは夫婦だからこそなのかもね。



私にできるのは、これからも父の話をとことん聞いてあげること。


納得はできなくても、少しでも気持ちを解放させてあげられたらいいなって思う。