一緒に泣いてくれるだけで | ☀︎雲の向こうはいつも青空☀︎

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2014年に母がスキルス性胃がんで他界したのをきっかけに、翌2015年から始めたブログ。あれから年月が経ち、今は日常のことをぼちぼち綴っています。


東日本大震災から今日で4年半。

もう4年半。
でも、まだ4年半。

震災を経験された方々それぞれに色んな思いがありますね。

また昨日は茨城県常総市の鬼怒川で堤防が決壊して町が濁流に飲み込まれるというひどい災害が起こり、今もまだ救助活動が行われているようです。

全員が無事救助されることを願います。

私が住む地域は大雨などによる災害が少ない所ですが、今回珍しく大雨特別警報が発令され、冠水や浸水した地域も多くあるようです。

幸いうちの周りは何事もなく今日もいつも通りの日常ですが、被害に遭われた方々はとても不安で悲しい時間を過ごしていると思います。

その気持ちを思うと震災時のことが甦り胸が苦しくなります。

津波だけじゃなく、大雨による災害も本当に恐ろしいものですね。

今日はまたそういった思いを噛みしめる一日でもあります。




東日本大震災の後、実家の地区の避難所で両親達が過ごしていた時期、全国各地からボランティアの方がご支援に来てくださっていました。

その中で、神奈川県から来てくれていた若いカップル。

その後結婚して福岡に引っ越し、最近二人目の赤ちゃんが誕生したようでおねがい


この奥さんの方が、母ととても親しくしてくれていました。

親子ほど歳が離れてるし2回くらいしか会ったことないのに、しょっちゅう電話やメールでやり取りをしたり地元で採れた海の幸を贈ったり。
一人目の赤ちゃんが生まれた時もお祝いを贈りたいから一緒に選んで欲しいと母に頼まれて買いに行ったことがあった。

母は自分がガンになったことも彼女に知らせていて、彼女はガンに効くというビワ茶やビワエキスを送ってくれたりした。

抗がん剤が効いて元気になったことを安心して喜んでくれていた。


母が亡くなったのは、ちょうどこのご夫婦の結婚式の日だった。

その前日、私は母から頼まれてたお祝いの電報をご夫婦に送った。
メッセージも私が考えたものだけど、ご夫婦にとっては元気な母から届いたものだと思ったことだろう。

だから、結婚式当日に母が亡くなったなんてどうしてもすぐには言えなかった。

せっかくの喜ばしい日に水を差したくはなかった。

けどいつまでも知らせないのも失礼かと思い、初七日が済んだ後で彼女にメールで知らせた。電話よりメールの方が冷静に受け取れると思ったから。

でも彼女からの返信はなかった。
そのまま一週間ほどが過ぎ、やっぱり知らせるべきじゃなかったかなと少し後悔していたところへ彼女から父に電話があり、私もその時初めてお話させてもらった。

彼女は大号泣していた。
それはもう、こちらがもらい泣きしそうなくらい。

「本当はすぐにでも電話したかったけど、お母さんが亡くなったことがショック過ぎて信じられなくて、とてもできなかった」と言っていた。

素直に嬉しかった。

母のことをそんな風に思って泣いてくれる人がいるってことが、心底嬉しかった。


母が亡くなった時、通夜や葬儀の場でたくさんの人から声をかけてもらった。

「大変だったね」

「まだ若いのに早過ぎるよ」

「お疲れさまでした」

「あまり気を落とさないでね」


もちろん、どの言葉もありがたいと思った。

こんな時どんな言葉をかけていいかわからない人もいるだろうに、こちらの気持ちも色々考えた上でかけてくれた言葉だから。


その中で、従姉妹の姉さんだけは何も言わなかった。

姉さんは美容師をしていて、母はいつも姉さんにカットしてもらっていた。
抗がん剤で髪が抜ける前にとバッサリ切った時も、姉さんが病室に来てカットしてくれた。
16人もいる従姉妹の中できっと一番母と関わりが深かったと思う。

姉さんは、何も言わず私の肩を抱いてただ一緒に泣いてくれた。

その「ただ一緒に泣いてくれた」ってことが、私にとってはどんな言葉よりもありがたかった。

私達と同じように悲しんでくれてるってことが、すごく伝わってきたから。


逆に、母の兄弟達からの

「もっと早く検査していれば」

「いまどきガンなんて手術したら治る病気なのに」

「なんで最期に誰も傍にいなかったんだか」

なんて言葉はなんの足しにもならなかった。

そんなの私達が一番後悔してることだって。

わざわざ言葉にして言われなくても、嫌というほどわかってるって。

兄弟だからこそ悔しくて言いたくなる気持ちはわかるけどね。

その後も何度も同じこと言われて、そのたびにスキルスの特性を説明しても全然わかってもらえなかった。

もはや諦めの境地。
理解できない人達に言い続けても仕方ない。


でも、なんだかんだ言っても母の兄弟達の顔を見るとちょっと落ち着く。

顔も喋り方も母と似てるし、小さい頃親戚がみんなで集まって賑やかだった時を思い出すから。

もうそれだけでいいかなって思う。

せめて母の分まで兄弟達には健康に生きて欲しい。


私は母を亡くすまで誰かの死を心から悲しんだことがなかった。

でも今は、誰かの悲しみに寄り添って一緒に涙を流せる、そんな風に人の痛みをわかってあげられる人になりたいって思う。