子宮委員長はるちゃんの子宮メソッドを実践しての私の体感です。

もう間もなくの、はるちゃん引退で削除されてしまうけど、一応↓

https://ameblo.jp/jj-haru/entry-12078775182.html

生理の話です。
スピリチュアルっぽい話もあります。

苦手な方は注意してお進みください。口笛

 

はるちゃんは言う。
布なぷきんを使うと自己肯定間が1Pあがるって。
私は2Pくらい、いやもっとあがったと思うアップ
どうして自己肯定感があがるのか?
それについての私なりの答え。

 

布なぷきん。
最近は、何それ?という人は女性ではいないんじゃない?
という位に認知度はあがった。
私がその存在を知った頃は、
まだまだかなりマニアックな世界だったと思う。
今じゃ、ネットで簡単に買えるし、
種類も豊富だし音譜
可愛いのがたくさんあるしラブ
機能的にも優れているしキラキラ
とかいいながら私が使い始めたのは、
子宮委員長はるちゃんの子宮メソッドを知った、
数ヶ月前からだったりする。
(子宮系女子という言葉がはやった頃の波にはまったく乗れていない私タラー

私の周りは使用暦10年以上のベテランさんも数人いて、

昔からその生声は聞いていた。

いいんだろうなぁとは思いつつ、
けれど、そういう人はスローな生活していて、
私とはライフスタイルが違いすぎて自分で使うところにまでは至っていなかった。
私が躊躇していた理由は、
①漏れ
②臭い
③使用後の布ナプの処理
(かばんに入れて持ち歩くことの抵抗感、洗濯の手間)
と多分多くの人が思うことと同じ。
私は特に③がショボーン

 

結論から言うと、

①最近のものは機能的に優れていて、私は市販品と遜色を感じなかった。

②臭くな~い。よく言われる『紙ナプ(ケミカルナプキン)だから【臭くなる】は本当だった。』

③抵抗なかった。手間も大したことなかった。

そして何より何より、使い始めたその日から、

自己肯定感があがったアップ

もっと厳密に言うなら、自己否定の原因を1つ手放した。

③の抵抗感がなかった理由は、自己肯定感があがった理由とも重なる。

 

私は、はじめて布なぷで受止めた自分の血を見たとき感動したんだキラキラ
いや、感動してる自分に、感動したキラキラ
大げさでなく。
それを見たときに、
私は自分の内側の深いところから
『うわわわぁっ音譜音譜音譜』て声が出そうになるほどの
幸福感ドキドキに満たされたキラキラ
その内側から湧き出る幸福感に何これ?ってびっくりした。

そして、それを何度かやって気付いたこと。

 

血って、自分の細胞の一部なんだよね。
しかも垢や爪と違って、まだぬくもりが残っている。
まだ生きていることを感じる細胞。
自分の血をやわらかい布で受止めたとき気が付いた。
そこにある血の、そのエネルギーは
自分自身のそれとまったく同じだ。
自分自身と同じエネルギーをまとうもの。
つい今しがたまで、
同じ酸素で,同じ脈を感じながら,同じ世界で生きていた存在。
まさしく、今ここに生きている自分の一部。
自分と同じもの。
それをそっとやわらかい布で受止める。
自分自身がおくるみで包まれているような感覚ドキドキ
自分自身がそっとやさしく受止められた感覚ドキドキ
もうひとりの私がそっと大切に扱われた感覚ドキドキ
私は自分の血をそんな風に扱うことで、
自分自身がそうされているかのような感覚を得たんだ。
私の身体の深いところで感じた幸福感ドキドキはそれ。

 

私は市販品を使っていたときは、
そこに受止めた血を、まさしく【汚物】としてみていた。
不潔なもの、汚いもの、臭いもの、醜悪なもの。
だって、【汚物入れ】に捨てられるものだし。
だって、臭いし叫び
それを処理するとき、
それが視界に入るとき、
私は嫌悪感でいっぱいの意識を、自分の血に向けていた。
う○こや尿と同じ【排泄物】という意識で扱ってきた。
でも、それらは根本的に違う。
う○こや尿は、基本的には口から取り入れ、自分の細胞とはならなかったもの。
だから、それがまとうエネルギーは自分自身のものとはまったく違う。
でも血は、ほんの少し前まで自分と一緒に生きていた、
自分自身そのもの。
自分自身と同じエネルギーをまとっているキラキラ
だから、その血に意識を向けることは、

鏡に映った自分に意識を向けるのと同じこと。

鏡にむかって自分で自分に
『汚い、臭い、不潔、醜悪、早く始末しなければ、排除しなければ』
そんな意識を向けていたのと同じ。
そんな意識を向け続けて、

自己肯定感があがる人はいないと思う。

(いや、そういうのが好きな人もいるかもしれないけど笑い泣き

でもそれを毎月毎月、1週間近く、数時間おきに、
もうずーーーーーっと、ずーーーっとやりつづけてきた。
無意識のうちに、自分で自分に、いく千もの毒矢いて座を放ち続けていた。
他人が自分に向ける意識に人は傷つくのじゃない。
自分が自分に向けた意識に人は傷つくのだと、
布なぷに変えた体感で、私はまた確信した。

 

そもそも布で受止めると、
不潔なもの、不快なものには感じないんだよ。
だって、あの嫌悪感を感じる独特のにおいから解放されるし。

(↑これすごく大きい。だって嗅覚って一番原始的で,瞬間的で.本能的な感覚だから)

清潔な布でそっと受止めた血の赤って、
生命力がみなぎってて、

美しいとさえ思うキラキラ

(あ、でも人の血はくらくらするし、怪我して出た血は痛くてそんなこと感じる余裕はない)

 

赤ちゃんをなぜ赤ちゃんと呼ぶのか?
あ~、赤い血の持つ生命力溢れるエネルギーキラキラと同じだからかな?
そんなことを感じるくらい、
とてもパワフルで美しいものに思えた。
それは自分自身にそんな意識を向けたのと同じ。
だから自己肯定感があがるんだ。

 

だから、使用済の布なぷと紙なぷに感じるものも全然違う。

だから、抵抗感は感じなかった。

荷物が減らない、それは事実。
洗濯が面倒、それも否定はしない。
(でも対して手間じゃないし、洗っているときは自分で自分をねぎらっている気分になるので、
ここでも自己肯定感があがるポイントだと私は思ってるおねがい)

 

自己肯定感をあげる一番簡単な方法は、
自分で自分に放っている、数々の毒矢いて座のような意識を手放すこと。
無意識レベルのその毒矢のような意識を手放すことを、
簡単に成し遂げられる【布なぷ】は、
試してみたら思っていたよりハードル低いし、

得られるものの方が多かったデス。