私は市販品を使っていたときは、 |
そこに受止めた血を、まさしく【汚物】としてみていた。 |
不潔なもの、汚いもの、臭いもの、醜悪なもの。 |
だって、【汚物入れ】に捨てられるものだし。 |
だって、臭いし。 |
それを処理するとき、 |
それが視界に入るとき、 |
私は嫌悪感でいっぱいの意識を、自分の血に向けていた。 |
う○こや尿と同じ【排泄物】という意識で扱ってきた。 |
でも、それらは根本的に違う。 |
う○こや尿は、基本的には口から取り入れ、自分の細胞とはならなかったもの。 |
だから、それがまとうエネルギーは自分自身のものとはまったく違う。 |
でも血は、ほんの少し前まで自分と一緒に生きていた、 |
自分自身そのもの。 |
自分自身と同じエネルギーをまとっている。 |
だから、その血に意識を向けることは、 |
鏡に映った自分に意識を向けるのと同じこと。
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鏡にむかって自分で自分に |
『汚い、臭い、不潔、醜悪、早く始末しなければ、排除しなければ』 |
そんな意識を向けていたのと同じ。 |
そんな意識を向け続けて、 |
自己肯定感があがる人はいないと思う。
(いや、そういうのが好きな人もいるかもしれないけど) |
でもそれを毎月毎月、1週間近く、数時間おきに、 |
もうずーーーーーっと、ずーーーっとやりつづけてきた。 |
無意識のうちに、自分で自分に、いく千もの毒矢を放ち続けていた。 |
他人が自分に向ける意識に人は傷つくのじゃない。 |
自分が自分に向けた意識に人は傷つくのだと、 |
布なぷに変えた体感で、私はまた確信した。 |