『ザ・ウェルキン』。

気になりつつも、

劇場に行くことができなかった作品。

 

WOWOWで放送があったので視聴。

 

大原櫻子は、映画『カノジョは嘘を愛しすぎてる』で

可愛らしい高校生役をしていたのを覚えている。

なんて軽やかで可愛らしい声だろう、と思った。

 

その後、2018年に『メタルマクベス』を観に行く機会があった。

 

 

ワタシが観たのはdisc2の

大原櫻子と尾上松也の組み合わせ。

 

小柄な身体でなんてパワフルなのかと驚いたし、

妖艶で、退廃的だが寂しがりやで切なく、

とてもじゃないが放っておけない!と思わせる

ランダムスター夫人だった。

 

 

 

 ザ・ウェルキン

作:ルーシー・カークウッド

演出:加藤拓也

 

1759年、英国の田舎町。

あるお金持ちの家の子供が、バラバラ死体で発見される。

犯人として捕まったのは、男女2人。

男はすでに処刑され、

女の方は、以前から悪評のあったサリーという少女(大原櫻子)だった。

助産師のエリザベス(吉田羊)は、陪審員として裁判に参加してほしいと頼まれる。

本当ならばサリーは絞首刑。

しかし、彼女は妊娠を主張しているという。

法律によって、妊娠している女性は絞首刑にしないこととなっている。

サリーの妊娠は本当か、それとも刑を免れるための嘘か?

確かめるために集められたのは、助産師のエリザベスの他に経産婦、妊婦、大佐夫人など女性ばかり12人。

攻撃的な態度で12人を翻弄するサリー。

妊娠の真偽と、バラバラ殺人はどのように起きたのか、徐々に明らかになっていく…というお話。

 

*ネタバレを含みます

 

大原櫻子と吉田羊だもの、と期待していたとおりだった。

衝撃的で、悲しく、苦しく、迫力と執念に満ちた作品。

 

まるで中世の絵画を見ているような、働く女性の姿。

12人がそれぞれ、個性と人知れぬ苦しみ悩みを持ってそこにいる。

もちろん全体を引っ張るのは、

エリザベス役の吉田羊と、

サリー役の大原櫻子だが、

他にもテレビや映画でよく知った俳優が多い。

西尾まり、豊田エリー、常松祐里、峯村リエなど。

そのために、役名は覚えきれなくともキャラクタは見分けやすい。

 

最初は陪審員になることを断っていたエリザベスが、

いざ審議となると、

なぜか懸命にサリーを庇い、男から遠ざけ、妊娠を証明しようとする。

 

逆に、どうせやったんだろう、一瞬で死ねるよと、投げやりに決めつけるエマや、

サリーを卑しく汚いもののように接する婦人など、

陪審員の反応はそれぞれ。

 

サリーは捻くれて、やさぐれていて、すぐに周りを敵に回す。

彼女の言葉は時に耳が痛い事実だったり、

少女らしい夢見がちな言葉だったりする。

陪審員はサリーが何かいうたびに振り回され、驚き呆れる。

 

大原櫻子は、さすがの豊かなセリフ表現。

不安定で不憫だが、寄り添うには終始扱いにくいサリーから目が離せない。

 

サリーのセリフ量も相当なのだが、他の役もセリフが多い。

しかも、

サリーの妊娠をどう見分けるか話し合う中で、

ギョッとするようなエピソードが女性たちから次々飛び出す。

妊娠中の異食だったり、不正出血、出産の人数だったり、自衛手段だったり。

 

流産や、産んだ後で死んでしまう子どもがいかに多かったか、

そしてそういう痛手の中でも

休まず働かざるを得ない彼女たちの生活がうかがわれる。

 

暖炉に火も入れられない、

水も飲めない、

人数分の椅子もない。

日が暮れて、

女性たちは自分がやり残した家事や育児に焦り、

まとまらない意見に苛立ち、疲労する。

(やり残したことを、結局誰も代わってくれない、というの分かるなあ)

窓の外では、魔女を吊るせ、ろくでなしを殺せと群衆の声は高くなる。

 

サリーから母乳が出たと喜んでも、運悪く煤だらけになってしまうし、

疲れて追い詰められた陪審員同士が、互いに暴露と罵り合いだして収集がつかなくなる。

そこに、医者(田村健太郎がサリーの夫と二役)が現れて、

サリーを診察し、懐妊だと判断する。

 

この診察の場面も観てて辛いが、

そのあとの医師の、卵巣と生理に関する話は

脳みそが酸欠のあまり真っ白になったかと思うくらい腹立たしかった。

 

サリーの妊娠が嘘でないと分かって

ほっとしたのも束の間。

 

ここから、戦慄の展開に。

 

思わずテレビ画面に向かって「えっ」と声が出た。

 

血まみれで痛みにのたうち回るサリー。

エリザベスはパニックになりながら介抱するも、

やがて涙を流し、なす術なく

前掛けを握りしめて立ち尽くす。

 

お腹の子どもは流れてしまい、

夥しい血を流してサリーは虫の息だ。

 

その苦しい声、

息をするたびに堪えられず漏れる呻き。

あまりの痛々しさに、目を覆いたくなる。

 

ここからは、

画面越しに観ている感覚がなくなる。

次の一瞬がどうなるのか、

息を呑んで追いかける。

 

もうサリーは妊娠していない。

絞首刑が執行されるだろう。

見せ物になって惨めに死ぬのは嫌だ殺してくれと

サリーはエリザベスに訴える。

 

サリー、エリザベス、そしてエマ。

三人の圧倒的な芝居。

 

特に最後の十数分、

エマ(峯村リエ)がとても良かった。

サリーにナツメグ6粒を盗まれたと騒いだり、

大佐夫人にあからさまに迎合したりと

前半は度量の小ささを絵に描いたような雰囲気のエマ。

それが、

サリーに起きたことを知ると、

おこりの落ちたようにサッパリとした、

意外なほど人間らしい味になる。

 

エマは、窓の外でサリーの絞首刑の執行を待って騒ぎ立てる民衆の声に顔を歪める。

この国に道徳はなくなっちまったのかね、と。

 

そして、エマが話した妹とのエピソードが、

エリザベスの決断を後押しすることになる。

 

エリザベスは涙を堪えながら自分の服の紐をほどくと、

サリーに気づかれないよう首にかけて、

後ろから声をかける。

あそこに明るい光が見える、

もっと上、もっと上だよ、と。

 

ホントに見えない、どこだよ、と

伸び上がるサリーと、

後ろで紐の端を握って立ちあがろうとするエリザベスの姿を最後に、

暗転して幕。

 

見終えても、しばらくは、感想が出てこない。

いいお芝居だった、誰それの演技が素晴らしかった、とった感情が湧いてこない。

 

250年以上も前の時代が舞台なのに、まったく、遠いお話の気がしない。

 

目の前の都合だけで判断を急ごうとする陪審員にエリザベスは訴えかける。

 

『窓の外には大空があって、

その下では一人一人に尊厳がある』

 

陪審員たちは彼女の言葉に、どうにか意見をまとめようとする。

それなのに、物語の結末はあまりに辛い。

 

辛いけれど、目を覆ってそれで終わりというわけにもいかない。

演劇の力というか、そこに情熱を傾ける人々の思いというものが、

なんとなくではあるが、分かったような気がした。

 

再演があれば、今度こそ劇場へ行きたい。