中村鶴松のお光が、とにかく良かった。

前半の、久松と結婚できるとウキウキした様子、お嬢様のお染とは明らかに育ちが違う動きと、可愛らしい嫉妬。
久松との痴話喧嘩ふうの言い争いも見ていて和む。
高速ダイコン刻みも堪能。

 

児太郎のお染、見た目は少々いかついが、声とセリフはお嬢様らしさがある。
お染は、大坂の質屋のお嬢さん。本人に悪気はなくとも、久松の隣にいるのは自分で、身を引くなんて無いと思っている。
お光との、どうしようもないこの違いみたいなものは出ていた。

 

七之助の久松はさすが。
久作を挟んで、お光と言い合いするくだりは、柔らかく美しい姿とのギャップ萌えとでもいうのか、なんとも色気が滲んで、お光が惚れてしまうのも分かる。

 

坂東彌十郎の久作もいい。灸を据えてもらうあたりなど特に。
久松とお光の2人と、テンポの速いかけ合いをしながら、竹本に乗って父親の情感たっぷりに演じている。

後半、添えなければお染と久松は死ぬつもりだと見抜いたお光は、髪を切って尼の姿で現れる。

鶴松のお光、萌葱色の着付けの袖を脱いで、髷を切った下げ髮がとにかく似合う。前段の、おきゃんな娘から、ぐっと気持ちを抑えた微笑みが涙を誘う。
寂しげな表情、意識して形作った笑みの唇など、細かくきっちり仕上がっている。
この人、眼の輝きがとっても美しい。

 

廻り舞台がぐるりと回って、土手の場。

 

久松とお染が口々に言葉をかけるのに応える、鶴松のお光の「浮世離れた 〽︎尼じゃもの」も、本当に良かった。
今にもぷつりと糸が切れそうに、めいっぱい、胸の奥に我慢をした姿。

 

久松は花道から駕籠に乗って去ってゆき、お染は舟で上手に油屋の後家のお常(中村東蔵)とともに去っていく。

 

見送って、表情とて作られず、数珠を取り落として久松の行ったかなたを見つめるお光。
父に数珠を持たされてようやく気づき、父の胸に縋って泣く。
この声、「父(とと)さん…」のセリフとも素晴らしかった。

 

野崎村って、こんなに面白かったっけ? と思うくらい、見るところが多かった。

 

大根の仕掛け、まな板(音がいい!)、お灸など、小道具の風情のよさ。
屋内から裏の土手へとガラリと景色が変わる廻り舞台の効果。
意外にアナログ(水色の黒衣さん)な舟の動きなど。
歌舞伎らしい仕掛けが楽しかった。

もう一度観たいなあ。

芝翫の醜女が楽しい 『釣女』

大名 某を演じる中村萬次郎、声も姿も品があって美しい。

坂東新悟が、大名のもとに現れた妻。ちょっと老け顔なのが惜しい。すらりとして綺麗なのだけど、大名と年齢差を感じてしまう。

 

太郎冠者の相方となる醜女が、中村芝翫。芝翫が出てきてから、一気に面白くなる。
 

ときどき歯を見せてニッと笑ったり、唇を尖らせたり。変化をつけて可愛らしさと可笑しさを見せている。

 

後半はもう、大先輩(芝翫)のやりたい放題で、萬次郎の本気の逃げっぷりがおかしくて可愛くて。

 

獅童の太郎冠者は、醜女(芝翫)とのやりとりは面白いものの、声の大きさは全体との調和がいまひとつだった。

 

*この記事は2024年1月にnoteに投稿したものです。

歌舞伎、読書関連の投稿は、noteに移行しています。

 

 

 

さすが中村屋。

 

中村屋兄弟の、次郎左衛門と八ツ橋。
どちらも本当に良かった。

 

仲之町見初の場は、先に七越(芝のぶ)が上手から出て舞台を通ってゆき、次に九重(児太郎)が花道から出て通ってゆく。

七之助の八ツ橋は、最後に登場する。

登場した瞬間から、視線は釘付け。

先の2人と明らかに違う、スコーーーーンと突き抜けた、清々しいほど桁違いのオーラ。

これは確かに、疑いもない、吉原仲之町を背負う、巷で評判の八ツ橋。
佐野次郎左衛門(勘九郎)も、魂を持ってかれて当たり前。

 

花道での微笑みも、これまで観た八ツ橋とまた少し感じ方が違って、面白かったぁ!

 

ふっと次郎左衛門に気づく。
それまでのツンとした絵姿みたいな顔に、じわじわと朱が差して生身になるようなわずかな微笑の広がりがきて。
そうやって次郎左衛門に視線をくれたまま、次は悪戯っぽく流し目で笑うのがあって。
最後に、吉原仲之町に聞こえた花魁八ツ橋とはわたしのことだ、と風格を見せつけるかのような、堂々とした笑みで顔を上げる。

溶けるように笑みは消えて、もとのツンとした姿に戻ると、ゆっくりと歩いていく。

八ツ橋の笑みを食らった次郎左衛門も、ここを堺に何かが変わった感じが、とても良かった。

 

わたしが感じた、八ツ橋の笑みの衝撃度合いを説明しようと試みるならば…

 

例えば、絶世の美を描いた美人画と人間は、どう頑張っても現世では添えない。
分かっちゃいるけど、視線は吸いつけられるようで、見つめていると、ふっと絵の中から、その美人が生身を持って浮き出してくる。そりゃもうアッとなる。

しかもそれがこっちを向いて、びっくりした?みたいに悪戯っぽくチャーミングに笑って、スッと視線を外して、さあこれが吉原仲之町に聞こえた八ツ橋だ、と堂々たる笑みを残して歩き去っていく。

 

えっ。いまのなに? 生きてた? 動いた? こっち見た!?

 

世界の見え方が変わる。
勘違いすると言ったら悲しすぎるけど、彼女が生身であるのなら、これはひょっとしたら何か近づきようがあるんじゃないか?という思いが頭をよぎる。その思いは、取り憑かれたように頭から離れなくなる。

 

…そんな感じ。

 

勘九郎の次郎左衛門は、宿へ帰るのが嫌になった、と言って、何か目つきがぎらりと変わったような顔で、八ツ橋の去った方を腕組みして見つめる。
その顔は、単に物凄く美しいものを見た、見惚れた、というだけではなかったようにわたしは感じて、それが新鮮で面白かった。

 

仁左衛門の栄之丞が、信じられないほどの若々しさ、美しさ。

 

次郎左衛門の身請けを断るか、自分と交わした起請文を返すかと栄之丞に迫られる八ツ橋。
ここは、激しく動揺する八ツ橋を見て、ああ彼女は、栄之丞がいたから、この勤めをしていられたんだと感じる場面だった。

 

次郎左衛門との縁切り場は、何度見ても次郎左衛門の気持ちになるとしんどい。

 

八ツ橋のつらさも分かるから、二重にしんどい。

治六(橋之助)が、とても良かった。主人を思う気持ちが爆発的な力を持って広がって、涙を誘った。

勘九郎の次郎左衛門。

縁切り場での切なさは、記憶にある勘三郎よりも良かった。
それはわたしが勘九郎に感じる、人をほっこりさせる雰囲気が、どこか次郎左衛門に重なるからかもしれない。
八ツ橋との出会いの場から比べたら、ぐっと身なりもオシャレになって通なお客人になったが、それでも次郎左衛門は、みんなに気を使う、いいやつなのだ。

最後に籠釣瓶で八ツ橋を斬るところ、鞘から抜いたら妖刀が先に動く様子を仕草で見せた。
ここは八ツ橋も上手にタイミングを合わせて、あっという間のひと太刀を間合いよく決めていた。

「籠釣瓶はァ…」の名台詞、表情を見て驚いた。
一瞬、勘三郎かと思った。
そのくらい似ていた。

狂気はあるが、完全に我を失っているのとは違うように見える。
これよりあとの場面は今回も上演されない。
しかし話の上では、このあと次郎左衛門は権八と栄之丞を斬る。
八ツ橋を殺して全て終わりというわけではないので、勘九郎の次郎左衛門も、そういう見え方になっていたように思う。

中村鶴松が初菊の役で、縁切り場に出ている。
下手寄りの座敷でこちらに背中を向け、顔だけ横顔を客席に見せて座った形がとても良かった。
八ツ橋の愛想づかしのくだりでは、我がことのように辛そうに、いたたまれない様子で俯く姿が可愛らしかった。

2月は、勘三郎の十三回忌追善興行。

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1階ロビーに飾られた写真。この、ちょっとお澄まし、がまた勘三郎っぽい

 

今も勘三郎のたくさんの名演が記憶にあって、十三年も経つなんて信じられない。
 

しかし、中村屋兄弟の『籠釣瓶』を観ると、兄弟がどれほど重いものを背負って踏ん張ってきたか、決して〈あっという間〉という短い言葉で表せない辛く長い道のりだったろう、とも思う。

 

勘九郎と七之助、どちらも初役なのに、気負った感じがない、観る側が手に汗握らなくていい。

 

それは、それが許されない状況を2人がたくさん経験して、乗り越えてきたからだろうか。

 

初役だもの、これからだよね、っていうんじゃなく、「さすが中村屋だ」と唸らせる『籠釣瓶』。
この2人だからできる次郎左衛門と八ツ橋を堪能できた。

 

 

*この記事は2024年1月にnoteに投稿したものを、加筆修正しています

 

2024年の1月、尾上右近の『京鹿子娘道成寺』をもう一度観たかったけれど叶わなかった。
同じでないと理解しながらも、研の會DVDを購入。
収録は2023年8月3日浅草公会堂。

 

巳之助がキョーレツ! 『夏祭浪花鑑』

配役
団七九郎兵衛/徳兵衛女房お辰…尾上右近
一寸徳兵衛/三河屋義平次…坂東巳之助
三婦女房おつぎ…尾上菊三呂
団七女房お梶…中村米吉
釣船三婦…中村鴈治郎

 

場面は三幕。住吉鳥居前、三婦内、長町裏。

尾上右近は、団七の他に徳兵衛(巳之助)の妻お辰も二役で演じている。
 

三婦内の場では尾上菊三呂も、お辰と呼吸が合っていてとても良かった。

お辰はそりゃ三婦も心配するよなと納得の色っぽさ。
 

いやもう、あまりに色っぽくて、一度目はまじまじと黒い絽の着物の向こうを見てしまい、筋に集中できず(ひどい感想)。二度目以降でようやく落ち着いた気持ちで…見られないわ。

 

殺し場も、舞台を作る方々は大変でしょうけども、見る側は、爆発寸前みたいな緊迫感と、美しい見得の数々を堪能。
 

尾上右近の見得は、溜めがたっぷりしていてタイミングが心地よく、本当に美しい。

それも、団七の美しい見得のそばに、ぞーっとするような義平次がいるのがまた凄まじい。

間違いなく、坂東巳之助の義平次という配役が、この場面の面白さを倍増させている。

 

30代でこんなに汚い(褒めている)義平次できる人、ちょっと他に思い当たらない。
将来が恐ろしい。『仮名手本忠臣蔵』の師直とか、きっといいだろうなあ。

型(かた)はありつつも、役者の数だけ魅力があるし、さらに配役によっても感じ方は違ってくる。歌舞伎ってやっぱり面白いと、あらためて思う。

 

何度見ても面白い、『京鹿子娘道成寺』

配役
白拍子花子…尾上右近
能力…中村種之助
能力…中村米吉

 

道行きより鐘入りまで。

 

ぞろぞろとした所化でなく、種之助と米吉が能力(のうりき)として登場する。
かなり贅沢感がある。2人とも声がよく、花子との掛け合いも美しい。
さらに、米吉による〈舞のおはなし〉が巧い。

 

忘れないうちに最初に書いておくと、鐘入りが、24年1月の歌舞伎座とは違う。
 

23年8月の、研の會では、白に鱗模様の着付けに、赤の着物をいったん羽織って、毛ジケも出して鐘に上がっていた。見たことのある形だ。

 

尾上右近の『娘道成寺』の魅力は、〽︎恋の手習い からが、ますます面白いこと。
ここからが正念場である一方、中だるみというかテンポが落ちて飽きるケースもあるのだが、右近の花子はむしろここから、彼の凄さをさらに感じる。

 

麻の葉模様の着付けも、やはりとてもいい。おきゃんな娘の雰囲気がよく出て、観ていて楽しい。

火焔太鼓の衣装での鞨鼓も、間近で見ると、打ち鳴らす強さも形も素晴らしいことが再確認できる。

 

何度見ても、短く感じる。面白すぎる。

 

鈴太鼓は、24年1月の歌舞伎座でぐんと良くなっていたのだと思った。
特に清姫の怨念が滲んでくるところは、歌舞伎座の広い舞台でも時空が歪んだような凄まじさだった。
24年1月の『娘道成寺』は、オンデマンドで配信中!

 

 

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DVDジャケット画像

 

ここまでする!? 特典映像

【特典映像1】尾上右近ひとり語り~夏祭浪花鑑ガチ解説~
【特典映像2】右近が行く 道成寺成功祈願の旅

 

『夏祭浪花鑑』ガチ解説は完全に、DVDのための特典で、「DVDお買い求めいただきありがとうございます」から始まる。
 

本編だけでも面白いのに、さらに主役による解説で衣装や道具、配役の裏側も聞けるとは。
なんと素敵な特典。

 

実は、歌舞伎DVDの多くが3,000円〜4,000円で購入できる中、自主公演だしお値段はそうなるよね(5,000円)と思いながら注文したのだ。

 

それが、全く損がないどころか、この値段設定でいいの!?サービスしすぎじゃない!?という一枚だった。ありがたや。

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DVD裏面画像

再生環境、Macはご注意

一般的なDVD/Blu-rayプレーヤーで問題なく再生可能です。
ただ、Mac純正のDVDプレーヤー(USB SuperDrive)では、スキップなどの操作がうまくいかず、長時間止まったままエラーになることが複数回ありました。
再生環境に関する情報として、お役に立てば幸いです。

 

【お知らせ】歌舞伎、読書関連の投稿は、noteに移行しています