織本順吉
94歳











ドキュメンタリーは88歳から撮り始めた
90歳を過ぎてからは殆んど仕事が入らなくなった





体重は30㌔に落ちた























2章の最後のシーン
お正月を撮った3日後に倒れた




いつダメになるか分からない
覚悟しておいてくださいと医者からいわれた










寝床では幻覚が表れた









1週間後、回復した









プロデューサーのユミさんは
父の実像を探りたいと交流があった人を尋ねた

彼を知る人は皆、異口同音にいい人だ。という

ドキュメンタリーを見てびっくりした。とも










娘のユミさんは父と一緒にいたのは4才までの記憶しかない
父はドラマ、映画と忙しく月に一回帰る程度だった


家庭を省みない俳優の実像を暴きたいためにドキュメンタリーを撮ることになったのだが、、

穏やかな優しい父がいたことにユミさんも驚く











根岸 李衣が見舞いにきた
呼吸をすれば存在感がでるんだょ
自然の摂理に合わせればいい











以前、最終章は記事にしましたが
改めて三部作のドキュメンタリーを見て
“生きること“ “死ぬこと”を考えさせられました














順吉はユミさんの撮るドキュメンタリーを病床で見たい。と言った

じっと画面を見る

いや、いいよ
よく撮ってくれた作ってくれた
ありがとうと

伝えて亡くなった

ユミさんと親子らしい関係がなかったけど
死ぬ間際に”ありがとう“と














「セリフを言うことは生きること」









ドキュメンタリーを見て思う



「セリフを言うことは呼吸することと同じ」

演じることが出来なければ呼吸も出来ない

死んだも同然だと

思っているのではないか


ユミさんにドキュメンタリーを撮らせる意味は

自身の不完全な生きざまを晒すことで

生きていることを表したかったのではないだろうか

まだ花は咲くと