去年の年末ぐらいから、私は「死のう」と思った。
それは、今まで自分がとても大切にしていたものを失って、2年以上たったある日の事だ。
私は音楽をやっていた。
音楽は、私にとって、すべてだった。
音楽だけが唯一、自分の生きている証であり、自分の存在理由だった。
そして、私が生きていくうえで、自分自身が一番必要としている事。
それは、自分の力で、誰かに少しでもいいから、「楽しい」とか「おもしろい」とか感じてもらえる事。
だれかに少しでも、幸せな感情を与える事が出来たら。
それが、私の望みだった。
自分自身も、音楽が大好きで、いつも一番身近にあって
たくさんのものをもらった。
それは、私のような欠陥人間でも、他の誰とも区別せず、平等に与えられ
それこそ、人生において、生きるために必要なもの
すべてをもらったと思っている。
だから、音楽は私にとって、何よりも大切なものであり
生きる理由になり得るほどの大きな存在であり
音楽はこんなにも、たくさんの人を幸せにするのだな。と、私は感動した。
そして、最初、私は、ただのいちリスナーとして、音楽を愛した。
そして、そのうち、自分もその音楽を提供する立場の人間になりたいと思うようになった。
それはもちろん、大前提として自分自身が音楽が単純に好きだから。という思いもある。
だから単純に音楽をやっていると楽しい。というのも、もちろんある。
そして、私は、私の音楽を通して、たくさんの人を幸せにしたい、と本気で考えるようになった。
私は、この世に命を授かったその瞬間から、何人かの人達を不幸にした。
何人かの人達の、幸せを奪ってまで、つくった家庭で、産まれた。
これは、直接的にいえば、私のせいではないのかもしれないが
私は、その事実を知った子供の頃から、ずっと、それを負い目に感じて生きてきた。
本当なら、自分はこの世に産まれる事すら、許されなかったのではないか。
誰かの幸せを踏みにじってまで、この世に産まれてこなくてもよかったのではないか。
自分が、今、こうして世の中にいる事すら、許される事ではない。
ずっと、そう考えて生きてきた。
だから、自分の存在意義に執拗に拘った。
常にそんな事をギリギリの精神状態で考えて生きていくほど、私は強い人間ではなかったが
ことあるごとに、思いだしては、自分はこの世に産まれてきてはいけない人間だったのではないか。
と、そう思って自分を責めた。
そんな私にとって、音楽というのは、唯一の自分の存在理由となった。
そんなだいそれた事をしなくても、私が歌う事で、全然知らない人や友人に
「ありがとう」や「楽しかったよ」なんて、ありがたい言葉をもらった。
そんな時、わたしは初めて心から、自分がこの世に産まれてきた事を、許されたのだ。と、信じる事が出来た。
誰かを、少しでも幸せにする事ができた時、私は初めて、「生きる」事を許されるのだと。
そう思った。
だから、その為に音楽をやり続けた。
そして、もっと、もっと、たくさんの人の役にたって、たくさんの人に必要とされたい。と思った。
だけど、それは極論を言えば、音楽でなくても良かったのかもしれない。
たまたま音楽が私にとって、一番身近な存在であり
暗闇から、光の導く世界へ、連れて来てくれたものだから。と、いうだけで
例えば、結婚して子供を産んで、幸せな家庭を築く。
とかいう事でも、全然良かったのだ。
だけど、私は自分に、幸せな家庭を築く、なんてだいそれた事は、今でも出来ないと思っているけれど。
そして、私は、音楽を失った。
失ったのはいろんな理由からだ。
もちろん、自分自身のせいでもある。
そこで、私はいつか、また新たにスタートしようと思っていた。
だけど、歌う事は、もはや自分にとって、何よりも苦しい事になってしまっていた。
それでもいつかはまた、以前と同じように、いや、以前よりももっと穏やかな気持ちで、歌えるようになる日が来る、と思って日々を過ごした。
現実を見つめる事から逃げ、何にも考えずに、ただ時間を消費した事もあった。
そうやって、抜け殻のようになって人生を過ごし、気づいたら、2年以上の時がたっていた。
そして、ある日、それでもまだ立ち直っていない、自分に気がついた時
私は愕然とした。
もう私が、この世に生きていてもいい理由など、どこにも無い。
という事に気がついた。
私はもう、誰かを幸せにする為に、何かをする事ができなくなってしまったのだ。
だから、私は生きる理由がなくなった。
私には、生きる理由が必要だ。
「生きる理由」どころか、「生きている事を許される理由」が必要なのだ。
その事に気づいた時、私は静かに「死」という事について、考えはじめた。
別に音楽でなくてはいけない。というわけではないのだと、書いたように
ギリギリの精神状態になった私は、それでも何か生きる理由が見つかるんじゃないかと、いろんな事を考えた。
そして、出来るだけの事は、やった。
もちろん、まだまだくじけずに、何かやっていけば、そのうちまた何か見つかるんじゃないかとも思ったが
私は、もう無理だ。と思った。
もう、これ以上、こんな状態で、生きる意味を必死に探しながら生きていくのは、苦しすぎる。
そもそも、そこまでして「生きたい」と思う理由が
私にはもう無い。
だから、私は、もう生きる理由を探すのを辞めた。
私にとって、「死」の方が自然だというのは、こんな理由からだ。
そもそも、産まれた事じたいが、ずっと許される事ではなかったのだ。
それなのに、今まで無理矢理生きてきたのだ。
もう、このへんで潮時だと考えても、おかしくないと思う。
だから、私は死ぬ。
それが自然な事なのだ。
むしろ、生まれてこなければ、良かったのかもしれない。
結局、私は自分が生まれてきた事の意味を、見つける事が出来なかったのだから。