こんにちは。
桂士です。
前回の記事を書いた時より、調子がよくなりました。
今日は、私の「視覚処理」と「聴覚処理」について書いてみようと思います。
「視覚処理」は「目がいい・悪い」とは、また違うことで
「聴覚処理」も「耳がいい・悪い」とは、また違うことです。
(少なくとも私の中では…)
私の場合、「視覚処理」が速くて「聴覚処理」が遅いです。
(自分以外にもこういう表現をする方っているのかな…)
私は「視覚優位」で、目で見た方がよく理解できるタイプなので
「視覚処理」が速いのは、ありがたいことなんですが…
なんか、ちょっと、やりづらいと感じる。
私の目は、例えるならば「画質のいいビデオカメラ」です。
私の耳は、例えるならば「音質の悪いイヤホン」です。
私は普段、目で「光、形、温度、空気、触感」などを感じ取って
(目で温度を「感じる」のは、物理的に「見える」のとはまた違う感覚なので、私の脳は視覚に依存して、色々補っているのかな、と、勝手に解釈しています…)
耳で「音、声」などを感じ取っています。
しかし、私の耳には「ノイズキャンセラー」とか「ノーマライザー」に相当する機能
(いらない音をカットしたり、音を適切な大きさにする機能的なもの?です、たぶん…)
がないので、どんな物音も人の声も、容赦なく拾ってしまいます。
容赦なく拾うけど、音の処理が追い付かない(聴覚処理が遅い)のか、それぞれの音が何の音かわからない…
とか、そういうことにしんどさを感じてます。
外出中、目で感知していない、背後から自転車がやってくると
私の耳は「キィキィ」という音は拾うものの、他にも
「コッコッ(足音)」
「ざーっ(風の音)」
「きゃはは(遠くの子供の声)」
など、他の音も同時に処理しているため
「キィキィ」という音を素早く「自転車がきている」という情報に変換して、脳に伝えられないようです。
私は目を閉じて人の話を聞くと、目を開けている時より「内容を理解しにくい」です。
何かをしている時に話しかけられたら、視覚の支援がない(話している人を見ていない)ため、内容を理解しにくい…かもしれません。
しかし、私の目は耳と同じように、容赦なく色んなものを見てしまう
「余分なものだろうと、しっかり見るよ」という、生真面目さんだったりします。
目で見たものを、何でもかんでも処理しているせいか
私は物がたくさんある場所で、目の前の作業に集中するのが、とても辛いです…。
私が頻繁に頭痛を起こす原因は、この「生真面目な視覚」と「不器用な聴覚」の能力差にあるんじゃないかと、けっこう真剣に考えました…。
実際には、私の起こす頭痛は、解離からのものもあれば、体調不良からのものもあるだろうし、答えは出なかったのですが。
なんだか、書いているうちによくわからない記事になってしまいました…。
とりあえず、私は普段、こんなことを考えながら食器を洗ったり、散歩をしたり、マイペースに生きてます。
ちなみに、私がもっとも安らぐのは
「目でゲームをしながら、耳で音楽を聴く」という、忙しないことをしている時です。
視覚はゲーム画面を必死で処理しているし、聴覚は音楽だけを淡々と処理しているし
それをしている時は、目と耳の能力差は特に問題にならず、「頭の中で情報が氾濫しない」ので楽なのです。
ついでに、余計なことを思い出したりもしないので、考え事で頭が埋まることもないです。
…はい、これはなかなか理解されません。
今日も蛍光灯の光が目に痛くて、耳に届く鈴虫の鳴き声が気になって仕方ない、桂士でした。
