宇佐神宮と神仏習合|八幡神はなぜ「八幡大菩薩」と呼ばれたのか | 魂のコア|flowbirth

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神社には、神さま。

お寺には、仏さま。

今の私たちは、なんとなく、

そう分けて考えています。

 

けれど、日本の長い歴史の中では、

神と仏は、

ずっと別々だったわけではありません。

 

むしろ、長い間、同じ場所にいた。

その大きな流れの中で、

とても重要な存在となったのが、

宇佐の八幡さまです。

八幡神と仏教

宇佐神宮に伝わる歴史には、

奈良時代、

隼人との戦いに関する物語があります。

戦いによって命を奪ったことを悔いた八幡神が、

仏教に救いを求めた。

そこから、現在まで続く「放生会」

につながったと伝えられています。

命を奪ったことを悔い、命を放つ。

神さまが、仏の教えに救いを求める。

現代の感覚で考えると、

とても不思議な構図です。

神さまと仏さまの間

やがて、八幡神は、

仏教とさらに深く結びつき、

「八幡大菩薩」

とも呼ばれるようになります。

神なのか。仏なのか。

そのどちらか一つに、

無理に決める必要のない世界が、

日本には長く存在していました。

 

神社のそばに、お寺がある。

寺の中に、神さまが祀られる。

神さまと仏さまが、同じ場所にいる。

それを、私たちは、

「神仏習合」と呼んでいます。

混ざったのではなく

神仏習合という言葉を聞くと、

二つの宗教が、ごちゃごちゃに

混ざったように感じるかもしれません。

けれど、私は、

少し違う見方もできるように思います。

山を見て、神を感じる。

その同じ山で、仏を感じる。

一つの場所に、違う入口がある。

人は、その両方へ、祈ることができた。

神と仏を、どちらか一方だけに

する必要がなかった。

神棚から始まった旅

ここまで来て、最初のお話へ戻ります。

神棚。

家の中に、神さまをお迎えする場所。

そこから、神鏡を辿り、天照大御神へ。

宗像三女神へ。沖ノ島へ。海を渡る祈りへ。

そして、太宰府で、

人が神さまになっていく歴史を見て。

宇佐へ。

最後に、神と仏が出会いました。

 

ずいぶん遠くまで来たようで、実は、

最初の場所へ戻ってきたのかもしれません。

 

神さまと、仏さま。

自然と、人。

こちら側と、向こう側。

別々に見えているものの間を、

人は、ずっと行き来しながら、

祈ってきた。

 

今週、私は、

宗像大社から、太宰府天満宮へ。

大分の宇佐神宮へ向かいます。

 

神さまについて、

文章で調べてきた道を、

今度は、自分の足で歩いてみます。

 

文字で知ることと、その場所に立つこと。

その間には、きっと、

まだ書かれていない何かがある。

 

旅から戻ったら、

今度は、そのお話を。