大阪での瞑想のワークショップの後、素晴らしい旅をしました。

 

 例によって神社巡りなのですが、今回の神社はとても美しかったです。

もちろん神社や神様に何かある訳ではなく、それをどう感じるかは、私達の心次第なので、自分が求めているものがそこにあったというだけなのですが、それでも、今回感じたのは 「美しさ」 というキーワード。

 

 心地いいというのとも、また少し違って、神々しいというのでしょうか?

圧倒されて、声も出ず、でも威圧感はなく、何時まででも居られる、

そんな場所でした。

 

 「そこに価値判断はなく、すべてが許される」

というのは後付けで、思考も消えてしまっていました。

 

  

 伊勢神宮、内宮の別宮 「滝原宮」

時間も止まっていました。

ただ 「美しかった」

 

 

  

 「天河大弁才天社近くの禊殿」

朝の神事に参加した後、朝日の中で。

 

 

 

 

 

 「橿原神宮」

日本書紀において、日本建国の地とされた橿原。

本殿は、京都御所の賢所を移築したもの。

ちょうど、巫女舞が行われていました。

 

 

 

 「伊太祁曽神社」

木の神様とされる「五十猛命」を祀る神社。

 

 

 まさに、心が洗われるような旅でした。

「美しさ」 とは、バランスのとれていることなのかなとも思ったりしていますが、言葉では現せないような気もします。

 

 

 一方で、少し苦手な神社にも行きました。

本当に自分に必要でないものなら、会う事がないと思います。

でも、会ってしまったということは、そこには、やはり何らかの縁があり、

学びがあるのだろうと思います。

 

 人も同じ。 

それのどこに反応しているのか。

心地よいと感じるものより、嫌だ・違和感がある の方が、学ぶべきものはある。

 ということは分かっていますが、、、

時には、この美しさに触れにいくことも必要だと思いました。

 

 自分の中の聖地(サンクチュアリ)には、自己肯定感を上げる効果がありますよ!!

 

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