なんとなく、眠れない夜に、私のブログは更新されています。







言語的にも、身体的にも、人とコミュニケーションをとる時に、

例えば、 同じ

「明日映画を観に行こう」 という提案でも、

母親にするのと、

交際中の相手にするのでは、



全く心に与える影響は違いますよね。

心に特別な影響を与えるような事、

たとえ、それがどんなに小さくて些細な事でも、

伝えるのは、とても難しくてやっかいです。



それが、大事な(=執着する気持ちが強い)ことなら一層。



喉の奥のツッカエ棒が邪魔をしたり、

身体は固体に気持ちは気体になったり、

あるいはテレパシーを都合よく念じてみたりw

ちゃんと伝えられなくなりませんか。



「なんとなく」伝わって欲しい、伝わってるんじゃないかなぁ。



親しくしている間柄であれば、尚更。

なんとなく察して、しっかり理解してくれるだろう、

って根拠のない自信までうまれます。



でもその願望は、結構叶わないもので、

そのまま放置しておくと、

ときどきトンデモナイくらいの

溝や距離がうまれていて、もうびっくり。



でも、誤解したまま繋いでいる糸が消滅していくぐらいなら、

気持ちの強さが痛みになって、

ときには、爆発となり、涙となり、癇癪となり、

カッコ悪くて、痛々しくて、面倒くさい道を通っても、

ちゃんと伝えなきゃならん事は、あるのね、。





私ももう、いい大人なんだから、

できれば、気持ちの強さに痛い目にあう前の段階で、

ナチュラルな感じにちゃんと伝えられれば、素晴らしいのにな・・・。







yuri












「なんとなく」の脅威は、ダンスについても同じことです。

気持ちが強いダンスは、確かに素晴らしいです。



しかし、それに身体的なダンス表現がしっかり伴っていなければ、

どこか、虚しいものです。



若ければ、許される時もありますが ヒヨコ




なんとなく、じゃなくて

ナチュラルな感じでも、ちゃんと、伝えられるダンスができれば、

素晴らしいのに・・・な◎