飽きる美人・飽きない美人の境界線
(。・ω・)ノ゙ ウケた!
ので、この記事ご紹介しまっす↓(長いとこは省略させてもらってます)
美人といわれる方々の中に、意外とすぐ飽きられてしまっていつもカレシがいないという狙い目、いや珍しい方々がいらっしゃいます。かと思えばチョイ美人だけど持ちのいい方々もいたり。では、そのボーダーラインはどの辺なのでしょうとの特命を受けましたので、考察してみましょう。そして、自分はどっちがいーのか男子も女子も妄想なさってみて下さい。
■話がつまる・つまんない
いくらどんなに美しくても、一緒にいて楽しくなければ飽きます。
二人で過ごしていればいろんなシチュエーションが出てきます。
そんな時に楽しいかどうかってのの大きな部分は、コミュニケーションだったりしますから、
そこが波長合わないとどうにもなりません。
「美しければそれでいい。ただそこにいてくれれば、キミの仕草も佇まいも、すべては我が心を支配する。」
こんなニュアンスの言葉を見たことがあります。
存在するだけで空気が張り詰めるような、壮絶な美しさを持ってしての表現だともいますが、
でも話してつまんなかったらダメって意見が大多数です。
このあたりに明確なボーダーラインがピシリと走ってそうですよね。
やはりコミュニケーション力は大事なことかと。
■センスがいい・わるい
顔はホントに美しいんだけど残念ながら全くもって、着てるものも持ってるものも、
好きな音楽も映画も、お酒も食事も、旅行もインテリアも、料理も家事も、
人付き合いもタイミングも、なんかピントずれてるなんて方。
前述のコミュニケーションにも通じてきますが、
置きモンじゃないわけですし、
姿が美しければ、逆にいろんなコトのセンスを問われたりします。
あのひと顔は綺麗だけどちょっとねーなんて同性からもくくられがちな、
美しいが故の相対的ネガティブ。世間は厳しいですね。
■目はココロ
例えば、デカ目の黒カラコいれた巻き毛の小娘と仲良くなって、
素の黒目を見たときに、やっとそのコのココロが見えてくるように、
目は口ほどにモノをいうってのは、親のまた親の時代からの定説です。
手はココロだからって手をつなぐことに慎重なコだって、好きだっていうのが怖いからって目を見つめつづけるオヤジだって、みんな生きているんだ友達なんだじゃなくって、
ココロを伝えることを大切にしているわけです。
気持ちが素直に表れたキレイな目。
その輝きこそが飽きないの美人の論点ではないかと考えます。
■結局いいのはよく食べて笑うヒト
元気であること。
よく食べて良く笑って明るいオーラをキラキラと振りまくこと。
多少ピントがずれてようが、天然といわれようが、かまわずに回り続ける存在感。
そう、役に立ってなさそうなところがいいのです。
故に美人力は元気から。
そしてそのバロメーターは目の瑞々しさってこと
以上!アメニュースでした。
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