kyottides的 喜怒哀楽 -38ページ目

kyottides的 喜怒哀楽

一年余りにわたって 開店休業状態 でしたが、そろそろ、また、あれやこれやと綴ってみようかなと思い始めています。よろしくお願いします。

 そろそろ、こういう曲もいいかな、と思って選んでみました。
 フルートにはハープ、バイオリンにはピアノという組み合わせが、どうやら、定番ですね。
 「シチリアーナ」というのは、曲のタイトルというよりは、曲の形式というようなニュアンスのようです。いろんな作曲家が名曲を残しています。

マスネ「タイースの瞑想曲」
Fl:パトリック・ガロワ

Mischa Elman plays
Massenet Meditation From 'Thais'


シチリアーナ  フォーレ


シチリアーノ(バッハ)


レスピーギ作曲 「シチリアーナ」
シチリアーナ 平原綾香

 猛暑日こそ減ってはきたものの、まだ、暑い日が続いています。
 夏っぽい歌もそろそろ、この辺で一区切りかな、ということで選んでみました。ふるーい曲ばかりを集めてみました。
 西田佐知子さんは、関口宏の奥さんで関口知宏のおかあさんです。

ライオンは寝ている(訳詞付) / The Tokens


Harry Belafonte Day-O ( Banana Boat )


コーヒールンバ  (唄 井上陽水)


西田佐知子
コーヒールンバ
アカシアの雨がやむとき
 どこだっけ・・・、とGoogleマップで調べてみました。


 まずは、民主党本部。
 これは、三宅坂交差点から始まるあの246(ニイヨンロク)沿いで、北の最高裁判所と南の国会議事堂にちょうど挟まれた場所にありました。建物の名前は三宅坂ビルです。
 同じ通り沿いには、社会文化会館(旧・社会党、現・社民党の本部)が三宅坂交差点に、自民党本部が永田町交差点にあります。コピーした地図では、全国町村会館の西隣、明朝体で「永田町」の文字がかぶっている建物です。
 社会文化会館も自民党本部もそれなりに大きなビルですが、民主党本部の三宅坂ビルはいかにも小さなビルだし、しかも、同党の自前のビルではないのですから、民主党の本部というのは宙に浮いているようなものです。小さなビルでは、本部で開く会議も少ないだろうし、本部で取り組む仕事も少ないのだろう、と思いました。なにしろ、まだ歴史が浅いばかりでなく、一致団結するような気風もない野合集団なのですから。(代表選挙での管・小沢双方の非難合戦を聴いてテレビ朝日のアナウンサーはあきれ顔で「いやー、これが同じ一つの政党なのかと思ってしまいました」と感想を漏らしていたほどです。)

 ところで、この246は、三宅坂交差点から、赤坂見附の上を通って豊川稲荷、東宮御所(赤坂御用地)、青山一丁目を通過後、外苑前で大きくカーブして表参道、渋谷へと抜けた後、茅ケ崎方面に向かう3ケタ国道で、都内から湘南に遊びに行くのによく使われる道です。三宅坂から渋谷までは青山通り、渋谷から先、二子玉川辺りまでは玉川通りと呼ばれています。3ケタ国道にしては珍しいほどの大きな幹線道路です。
 皇居の周りの中でも、この青山通りは、外苑前辺りまでは、他に比べて随分静かな通り、という印象があります。


 つぎに、尖閣諸島。
 これは、地図をよほど拡大しないと見えないほど小さな島々でした。
 台湾の北端から北東方向、西表島や石垣島、宮古島などのほぼ北の方向に、この小さな島々がありました。
 19世紀以降、中国や台湾が自国の領土だと言い出したのは、1970年代に入ってからのことだそうです。何故かと言えば、この小さな島々の周辺に海底油田だったか、海底資源の脈があることが分かったからだとのこと。
 資源の取り合いとなれば、経済的な理由を動機にした紛争が起こりかねません。特に中国と日本との関係が険悪になる火ダネだと言わざるを得ないように思います。

 この点で、中国というのは、大国主義、覇権主義をむき出しにしているだけに気に入らない。
 というのも、いまだにスターリン主義を引きずっているとしか言いようがないからです。
 社会主義革命に勝利したレーニンの路線は、民族自決路線であり、「革命の輸出」を押し付けるわけにはいかない、という領土不拡大の方針でした。(現代でいえば、「自由と民主主義」の輸出を押し付けようとしたアメリカのブッシュの失敗の対極にあります。)
 これを覆して(くつがえして)大国主義の路線に走ったのがスターリンでした。しかも、国内でも外交でも謀略の嵐で、人を欺くことが政治・外交だと言わんばかりの態度の積み重ねでした。国内では革命の同志たちを次々と陥れてスパイのレッテルを張りながら殺害し、外交では、英仏にプレッシャーをかけるのに利用しようとして、ヒットラーの率いるドイツの極秘の再軍備に手を貸し、ドイツが「トラックを製造している」とウソをつきながら戦車を製造していたのがソ連の領土でのことだったこと、ヒットラーとの間でポーランドを分割支配する密約を結んだこと、米・英・中・ソのポツダム宣言の際には、対日参戦に際して千島列島を分捕る密約を強要したことなど、ウソと密約の連続でした。(人を騙したつもりのスターリンは、しかし、反共主義のヒットラーに騙されて、惨憺たる犠牲者の山となる悲惨な戦争を強いられることとなりました。だからこそ、なお一層、ウソと密約にこだわり続けたのかもしれません。)
 そのスターリンが自分への非難をかわすために言い続けたのが、自分のやっていることはレーニン主義だ、というウソでした。だからこそ、レーニンの遺体をミイラにして見世物にしたりレーニンの巨大な像を各地に建造させたりしたのです。このため、その後のソ連やどこの国でも、レーニンのイメージは大きくゆがめられてしまうことになってしまいました。
 こういうスターリンの虚像を擁護することは、一党独裁を正当化することと、領土拡張主義などの大国主義・覇権主義の厚かましさを正当化することに利用するものでしかありません。
 また、権力中枢からはずれて上海に引っ込んでいた毛沢東の「文化大革命」は、造反有理という論拠によって知識階層を敵に回しながら、紅衛兵(こうえいへい)という私兵によって内乱を起こそうとした権力闘争として晩節を汚すこととなりましたが、この弊害は、カンボジアのポル・ポト政権やフィリピンの山岳ゲリラなどにモロに影響を与えることとなりました。

 その中国は今でも、革命の英雄として、マルクス、エンゲルス、レーニンに続けて、スターリンと毛沢東の肖像を掲げ続けています。このスターリンと毛沢東の主義主張を正当化したままの中国が、インターナショナルの精神といかにかけ離れているかを思うにつけ、この尖閣諸島問題での中国の態度が、本当に気に入らないのです。許せない、と言ってもいいくらいです。
 あの天安門事件の際、インターナショナル(引用の映像は、映画「レッズ」から)を歌っていたのは、中国の権力側ではなく、戦車の前に素手で立ちはだかった青年たちだったことを、今更ながら、思い出します。
...The International unites the human race...

 全く、こんな夏もあるのかと、あきれるほど、いつまでも残暑が収まりません。
 ならば、いっそのこと、暑い国の熱い音楽を、と選んでみました。

 セルジオ・メンデスとブラジル66は、「サンホセへの道」、「マシュ・ケ・ナダ」の印象が強いのですが、ブラジル66という名前を外してその後もいろいろと活躍したようです。
 サンバ、ボサノヴァ、サルサとイメージしたなかで、日本人バンドのオルケスタ・デ・ラ・ルスを思い出し、
 あっ、そういえばと、ザ・ピーナッツを思い出して「情熱の花」を選んでみたのですが、この曲のもとになったのが、実は・・・、ということで、引用してみました。

 ブラジル系とは違って、スペイン語のメキシコ系からは、なんと言っても「ラ・バンバ」でしょう。
 悲劇そのものと言えるような短命に終わったリッチー・ヴァレンスの唯一のヒット曲です。スペイン語の歌は受けないと言われたアメリカで初の大ヒットを飛ばした曲です。
 このタイトルの映画を覚えている人も多いと思います。歌っていたのはロス・ロボス、映画の主役を演じていたのはルー・ダイアモンド・フィリップスです。彼の歌いっぷりというか、演技がとてもカッコ良かったと思います。

 暑い時に、暑い(熱い)曲を聴けば、暑さも忘れる、・・・かな。

サン・ホセへの道/ボサ・リオ Do You Know The Way To San Jose/Bossa Rio

Sergio Mendes & Brasil '66 - Mais Que Nada

オルケスタ・デ・ラ・ルス Orquesta da la Luz 情熱の花 Passion Flower

情熱の花

Ludwig van Beethoven: Für Elise

Los Lobos - La Bamba

 民主党の代表選挙を巡る情勢は、ある種、流動的な様相を見せてきましたが、一言でいえば、先日指摘した通り、小沢グループに屈服しそうな気配が濃くなってきました。離党をチラつかせたことで、まず、前首相の鳩山が動揺を繰り返し、小沢、管の間を行ったり来たり、右往左往しています。その様子を捉えて、日和見主義者たちは、相次いで小沢支持の態度に流れ込んでいます。参院・議員会長の輿石などは日教組出身だし、元・農相の赤松も社会党・右派でした。
 社会市民連合出身の首相・管直人と社会党右派出身の官房長官・仙石とは、社会党を分裂させ、潰すために謀略を働いた相棒同士です。社会党の残党を引き継いだ福島瑞穂の社会民主党(社民党)から見れば、いくら恨んでも恨みを晴らせない仇(かたき)です。それだからこそ、同じ民主党内でも、管、仙石の評判は非常に悪いのです。社会党を潰してその右派勢力を民主党に合流させた功労者の二人ではありますが、その分、この二人には謀略家、つまり、汚いことをする奴ら、という不信感がぬぐえないからです。今では、社会党右派の幹部だった輿石や赤松でさえ、小沢支持に流れ込んでいるくらいですから、管、仙石の人望のなさが浮き彫りになっています。
 実際、この二人の政権運営は、民主党の中でも最も非民主的な態度の積み重ねでした。

 そんなわけで、いまや、民主党内では、小沢グループが上げ潮に乗っているかのような情勢になだれ込んできました。
 鳩山がトロイカ体制の維持にこだわっているようですが、彼が発言・態度をコロコロ変えることは、もう、誰の目にも明らかになっていますから、小沢陣営も管陣営も、鳩山の信頼性にはあまり期待をしていません。
 ついでに言えば、小者の枝野とかレンホウのこれからの態度も見ものです。バカの民主党の中でも最も象徴的なバカどもですから。

 あとは、小沢がどこまで譲歩し、妥協的な態度を取るか、その胸先三寸にかかっているような情勢となってきました。民主党という政党が、なんと、情けない政党であるか、よく分かった人も少なくないでしょう。今後、民主党などというペテン師どもには投票しないことを願うのみです。

 さて、民主党の幹事長は、最近のニュースでは、ほとんど、話題にのぼりません。
 幹事長というのは、いったい、どういう役職なのでしょうか。

 自民党や民主党、または、他の保守的な政党も、総裁とか党代表の次に幹事長という役職を設けています。
 これは、内閣でいえば、官房長官に当たる役職です。
 共産党や社会民主党(社民党)、あるいは労働組合などでは、幹事長という名前ではなく、書記局長とか書記長です。
 企業にあてはめれば、筆頭専務、でしょう。
 国連の事務総長、市民団体などの事務局長など一般にセクレタリー・ジェネラル(secretary general)というような立場です。

 委員長、党代表、または、首相や社長など、トップに立つ人は、その組織の路線、政策に責任を負う立場です。「うちは、この方針で行く」という路線・方向性を示し、責任を取る立場です。
 この代表者を支えるのが幹事長、官房長官、書記長、事務局長、専務などです。つまり、この実質ナンバーツーの立場は、トップの路線を組織内に徹底させ、実行する責任者です。
 つまり、路線・政策を打ち出すのがトップ、その意を受けて組織づくり、組織運営を行うのがナンバーツーです。幹事長たるものは、従って、代表者の意を受けて、組織をまとめ上げるのが仕事です。「よし、それで行こう。あの代表についていこう」という体制と気風を作り上げることです。

 さて、枝野って、いま、何やってるんでしょう。
 党内の結束を固めるのが仕事なんですが、代表選挙のゴタゴタの中で、そういう党の一大事の時に、出番のない幹事長なんて聞いたことがありません。だから、こういう男のことをバカと言ってきたわけです。そんな男を選んだ管直人の浅はかさが、今更ながら、浮き彫りになるというものです。

 今後、民主党内の代表選びがどんな経過をたどるにせよ、とんだ野合ぶりを見せつけられているだけに、彼らが国会の最大会派を形成している限り、日本国民にとって、いいことは何もない。そう思っています。
 毎週月曜日に通っているピアノ・レッスンでは、先週からブラームスの「ハンガリー舞曲・第5番」の練習に入っています。それまでは、シューマンの「トロイメライ」でした。これは、とても短いので3回か4回のレッスンで終了でした。
 レッスンで使っているテキストは、「全音ピアノ名曲100選中級編」です。インターネットで検索してみたら、模範演奏をしてくれている人のサイトがありました。聴いてみたら、自分の水準の低さ改めて思い知らされたようなもので、こんなにうまく弾けたらいいのになぁ・・・と、思いつつ、それでも、たどたどしいながらも、自分なりに演奏を楽しむことにしています。
 ついに小沢一郎本人が民主党代表選挙への出馬を表明しました。やっぱり、なるようになってきました。

 民主党については、漫画家の黒鉄ヒロシも「民主党には綱領がないんですよ。でね、実は、あのナチスにも綱領がなかった。ナチスに綱領はないのかと問われたヒットラーが『我々の綱領はワグナーだ』と答えた話は有名です」と話しています。
 ワグナーとは、あの大作曲家で、政治的にはゲルマン民族至上主義の超・保守主義で有名な人物でした。

 このブログでも再三にわたって民主党とは私利私欲にまみれた集団の単なる野合に過ぎず、政党としての志(こころざし)を内外に表明するはずの綱領を掲げることもできないペテン師集団であること、その運営方法もおよそ民主的とは言えない親分・子分のパワー・バランスのみで運営してきたことも指摘してきました。
 彼らは、選挙のたびに「マニュフェスト」を発表することで綱領に代えてきたつもりでしょうが、そのマニュフェスト自体が、党大会で決定したものでもなく、一部のメンバーによる作文に過ぎないことも明らかになってきています。それに、参議院選挙の時の消費税論議にしても、八月の「日韓併合」百年に際しての首相談話にしても、党内討議などは何一つ踏まえていないのです。

 インターネット検索をすると、さまざまな人々が、この綱領問題に触れているのが分かります。キーワードとして「民主党 綱領」とか「みんなの党 綱領」など、政党名とスペースを空けて「綱領」とを抱き合わせて検索してみると、なかなか、傑作な項目が続々出てきます。(みんなの党も綱領を持たず、また、マニュフェストの代わりにアジェンダ=議題という言葉を使うなど、ムード的に支持をかすめ取ってきた点は、民主党とよく似ています。)

 では、なぜ、彼らは、自らの志を明確にすることができないのか。
 そこに、今回の代表選挙に当たっての党内抗争のわけが見えてくるのです。つまりは、小沢グループは基本的に保守党=自民党の分派、管グループは、社会党・右派とか民社党、社会市民連合など社会民主勢力の末裔(まつえい)が、それぞれ中心勢力になっているからです。両者は同じ一つの政党に野合したほどですから、権力を握りたい、それによって得られる利権を手に入れたいという点では一致しているのですが、政策的には、軍事・外交・経済・国民福祉など様々な面で、党内でケンカになってもおかしくないほどの隔たりを抱えています。
 そんな野合集団が、政治的理念を一致させることなど、もともと、無理な話なのです。

 それが表面化したのが、今回の代表選挙だと言えるでしょう。
 小沢グループなどは、「現在の執行部に反対するわけだから選挙に負ければ離党もありうる」と、一見、潔い(いさぎよい)態度のように聞こえますが、離党をチラつかせること自体が、一種の恫喝(どうかつ=脅し)だということは、見え透いています。でも、その方が、もとの小沢党=自由党に戻るわけですから、国民の目から見れば、分かりやすいことになるかもしれません。
 ただ、社民勢力というのは、もともと、どこの国でも、日和見主義の路線を取ってきた臆病者の集団だし、あの福島・社民党を抜け出した辻本清美のように、先を見通せずに目の前の状況に一喜一憂しやすい動揺分子ですから、小沢グループの脅しに屈服するかもしれません。
 となれば、内閣総理大臣は小沢一郎ということになり、彼の念願だった霞が関改革という名の強権政治の体制をつくり上げようとするでしょう。つまり、政治主導の名のもとに政権党に有利な制度改悪と情報操作を積み重ねることで、小沢党の一党独裁を目指すことになります。
 昔の教訓ではないけれど、ファシストは微笑みながらやってくる、のです。

 急激な円の独歩高・株安という事態に対して何の対策も打ち出せない経済音痴の管内閣でも、強権政治を目指す小沢内閣でも、どちらにしても、国民にとっては、いいことは、何もないと言わざるを得ないでしょう。当面は、わが日本の政治は、あの名古屋市や鹿児島県阿久根市のゴタゴタではないけれど、お先真っ暗な状況が続くことになりそうです。
 いつまでたっても、毎日が狂おしい太陽の灼熱に曝されているような、暑い日が続いています。
 「太陽」で思い出すのが、アラン・ドロン主演の「太陽がいっぱい」とシドニー・ポワチエが主演した「いつも心に太陽を」です。
 「太陽がいっぱい」は、サギ師アラン・ドロンが見事成功をつかんだかのように思ったラストで、もともと彼女の恋人で富豪だった男で、自分がその立場にとって代わるはずだった彼の死体が出てくるという衝撃的な最後でした。海中から死体が上がってきたシーンは思わず鳥肌が立つほどのインパクトがありました。

フランス映画「太陽がいっぱい」 衝撃のラストシーン


 「いつも心に太陽を」は、後に「夜の捜査線」シリーズで有名になるシドニー・ポワチエが教師役を務めた映画です。
 イギリスをはじめヨーロッパの国々は、日本よりもはるかに階級社会の障壁の高い国々で、公立中学と言えば、将来の夢とか希望とは無縁の、下層階級の子どもたち、いわば、ワルガキどもの巣窟で、もちろん、偏見もひどい環境です。
 そんな中学校(secondary school)に赴任した黒人教師が子どもたちに前向きに生きるエネルギーを芽生えさせ、育てていくという物語でした。
 イギリスでエリート・コースを歩む上流階級の人々は、「チップス先生さようなら」に出てくるような、規律の厳しい私立学校に進学するのが常識となっていて、公立中との環境の違いがよく分かると思います。この映画でチップス先生を演じたのは、「アラビアのロレンス」で有名なピーター・オトゥールでした。ラストシーンでは、学校の正門の脇にずっと立ち続けている先生を延々と映していたのが印象的でした。良き師・良き学校に恵まれた人々の思い出を喚起させるための映画だった、と思います。
 「チップス先生」よりも、「いつも心に太陽を」の方が好きだったのは、わたしなりには、当然だったように思っています。

To Sir With Love

いつも心に太陽を (ルル)


Goodbye, Mr. Chips - Part 1 of 15

 もう10年以上も使っていなかった古い机があって、その引き出しを整理しようと思い立った土曜日の午後、懐かしい品物がたくさん出てきました。
 中でも、こんなに持っていたのかと、我ながら意外だったのが、万年筆。どれもこれも、みんな、使い物にならない状態になっていたのですが、二、三時間も水に浸しておいたら固まってしまったインクも溶け、未使用のカートリッジを差し込んでみると、見事に心地よい書き心地が戻ってきました。

 万年筆を使わなくなって何年になるだろう。
 今では、タダでもらったようなボールペンばかりを使っています。たまに買うのも二色とか三色のボールペンです。シャーペンも使わなくなりました。それに、まとまった文章を書こうというときは、ほとんどの場合がパソコンに向かってのキーボード叩きです。手書きというのは、メモを取る時くらいのものです。
 昔、毎日のように取材と作稿(原稿作成)に追われていた頃は、急いで書けるように2Bくらいの柔らかい芯の鉛筆で原稿を書いていました。それも、ある時期からはワープロ専用機(使っていたのは「東芝ルポ」)で仕事をするようになり、そしてまた、そういう機器も消滅してしまいました。取材メモの時にはシャーペンを使っていましたが、今はもう、そういう仕事でもなくなったため、シャーペンとも縁が薄くなりました。

 ですから、振り返ってみると、万年筆は、実用的な意味では、ほとんど役に立ったことがありません。でも、他の筆記具とは違った味わいがあったのもまた確かです。思い出すとしたら、手紙を書くときはいつも万年筆だったように思います。ボールペンやシャーペンでは失礼な気がしていました。
 でも、それも昔の話となってしまい、そういう手書きの手紙というものも書かなくなりました。親しい人との間に限らず、どんな人との間でも、手紙ではなくメールのやり取りに変わってしまったのですから。

 万年筆の文字というのは、独特の表情があります。力の入れようで文字が太くなったり細くなったり、または、急いで書いたのが文字のかすれになって表れたり、言葉の背後にある感情のようなものまでもが見えるような味があるのだと思います。それだから、手紙の時には万年筆だったのではないかと思います。

 ずいぶん懐かしい思いをした万年筆の中には、私の名前が彫られたものもありました。誕生祝いとか卒業、進学祝いなどのプレゼントでいただいたものだったと思います。誰からもらった万年筆なのか、残念ながら、思い出すことができません。でも、若かったころの私には、万年筆がふさわしいと思って贈ってくれたのでしょう。原稿を書くような仕事が似合っているだろう、と。

 初めて万年筆を手にしたのが中学生の時でした。たしか、『中一時代』(旺文社)のプレゼント懸賞に当たったセーラー万年筆でした。その後、初めて自分で買ったのが、「こんな安い万年筆がある」ということで、同級生の間でもちょっとした流行になった中国製の万年筆でした。国産の万年筆の10分の1くらいの格安の万年筆でした。セーラー、プラチナ、パイロットなどの万年筆が2千円とか3千円していたころ、中国製の万年筆は200円くらい。スポイト式で、インクは出過ぎるくらいにポタポタ出てくるような万年筆でしたが、中学生の“ボクたち”にとっては、なんだか大人の世界に近づいたような気分になれるツールの一つでした。

 国産の万年筆に対して、パーカーとかモンブランというのは、また、格別の高級品でした。国産では、パイロットとかプラチナが万年筆の高級品の部類に入っていたと思うのですが、イギリスのパーカー、ドイツのモンブランというのは、万年筆の元祖というか本家のようなステイタスがあって、いわばブランド品の頂点に立っていたと思います。そのパーカーが2本、モンブランが1本出てきたのですから、自分でも少々驚いています。
 何本もの万年筆を持っていた中で、いま、こうして再会した品々は、たぶん、大事に持っていたものなのだろうと思います。
 パイロットの銀製の万年筆は、すっかり錆びてしまって黒々としていたのですが、銀は歯磨き粉をつけて歯ブラシで磨くと錆が落ちる、と聞いていましたので、軸の方だけを磨いてみました。キャップは黒々としたままです。このペンには、私の名前が彫ってありました。あと二、三回磨けば光沢も出てくるように思います。
 パーカーの万年筆は、2本残っていました。黒い方の万年筆にわたしの名前が彫ってあります。メタル製の万年筆は、その質感から思うに、ステンレス製です。2本ともキャップのしまり具合が甘くて、すぐにキャップが外れてしまいそうな不安感があります。たぶん、そういうソフトタッチがパーカーのコンセプトなのかもしれません。書き味はとても滑らかで、この万年筆を使っていた頃の自分を思い出すような懐かしさを感じました。
 これに対して、キャップが抜けないように、ペンの軸にスプリングまではめ込んでいるのがモンブランでした。よほど力を入れないと、キャップをしっかりはめ込むこともできないし、逆にキャップを外すのにも力がいるガチガチのカタブツという感じです。いかにもドイツ的な雰囲気を持った造りの万年筆です。
 この万年筆は、珍しいピストン式のインクカートリッジで、モンブランの特徴となっています。古いモンブランは、この万年筆のように軸の中のカートリッジではなく、ペンの軸のお尻の部分がピストンを上げ下げするように回転する方式になっていました。
 ペンの軸のシールには、「M W.-Germany」と記してあります。ドイツがまだ東西に分裂していた頃の西ドイツの製品だというシールでした。だから、このシールは、年代物だという証しになりますね、きっと。

 何故なのかは分かりませんが、こうして、懐かしい万年筆に出会ってみると、何か、しっかりした勉強をするとか原稿を書きなさいと言われているような気になります。おそらく、そういうタイミングなのだと誰かに言われているのかもしれません。
 ノスタルジックな気分とともに、半歩でも一歩でも前に踏み出すように促されているような気持ちになった。万年筆たちとのそういう再会のひと時でもありました。
 八月というのは、広島・長崎の原爆投下、日航機の御巣鷹山墜落事故、太平洋戦争の敗戦記念日。そして、お盆、と、人の命に思いを寄せる機会が多いですね。
 坂本九さんもまた、御巣鷹山事故で命を落とした一人でした。

坂本九  Sakamoto Kyu  見あげてごらん夜の星を


上を向いて歩こう
明日がある