上州女 | kyottides的 喜怒哀楽

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一年余りにわたって 開店休業状態 でしたが、そろそろ、また、あれやこれやと綴ってみようかなと思い始めています。よろしくお願いします。

 かかぁ天下とカラッ風、と言われるほど、上州(群馬)の女は、気が強い。
 車を運転していると、こちらが「3」ナンバーなのに、軽四輪のおねえちゃんが平気で後ろからあおってくる。カーブに差し掛かったときに、わざと加速して引き離すと、運転ぶりの違いに気づいて、相手は急に速度を落として離れるのだが、そんなことでもない限り、ピタッと、至近距離に迫ってくるのだ。
 旦那に内緒の買い物はするけれど、旦那の無駄遣いは許さない。
 新車に買い替えたいという旦那に対して、
「バッカじゃないの?クルマなんて時がたてば価値がなくなっちゃうじゃないの。中古でいいのよ、あんなもの」と一蹴する一方で、新車と同じくらいの値段のジュエリーを買ってしまう。
「だって、宝石なら、価値は下がらないでしょう?」
(いやね、そりゃまあ、そうなんだけど・・・。ジュエリーだって、売ろうとすれば、どこに持って行ったって、買った時の1割くらいの値段にまで買い叩かれちゃうんだけどなぁ…。)


 どうして、上州の女たちは、強いのだろうか。
 群馬というところは、昔は、養蚕業が盛んで、そのカイコからとれる生糸が重要な地場産業だった。西の西陣・東の桐生と言われたほど絹織物が栄えていた時代もあったし、明治から昭和にかけて、赤城山、榛名山のふもとの養蚕農家が生産した生糸は高崎に集められ、八王子を経由して横浜に送られた。そこからアメリカに輸出されて、かの地の女性たちのストッキングになっていたのだ。途中で八王子も絹織物の産地として栄えたし、横浜も絹のスカーフやネクタイの産地として栄え、単に生糸を輸出するだけでなく、絹製品の産地としても栄えたのだった。そのために敷かれた鉄道が八高線であり、横浜線だった。近代化を目指した明治から戦前にかけて、外貨を稼いだ輸出産業の産地だったのだ。
 この養蚕業、絹織物産業を担っていたのが、女たちだった。上州女は、旦那もおとなしくさせるほど働き者だという気概にあふれている。

 その一方で、旦那たちは、女房の稼いだ金でパクチにふけってきた。高崎競馬、前橋競輪、伊勢崎オート、桐生競艇、などなど、高崎・前橋・伊勢崎・桐生から太田、足利(栃木)にいたる道筋は、博打街道という別名さえあったほどだ。各地にあるドームといえば、普通、野球場だが、前橋のグリーン・ドームだけは、競輪場である。伊勢崎と太田の間にある国定村(今は、確か伊勢崎市に吸収されている)には、国定忠治の墓もある。やくざな博打ちが全国からやってきて、縁起を担いで墓石を削って自分の幸運のためのお守りにして持ち帰ると聞く。
 台風の直撃も滅多になく、冬のカラッ風を除けば過ごしやすい土地柄なだけに、全体にのんびりしていて、働き者の女房と遊び人の旦那、という組み合わせで家族が成り立ってきたのだろう。

 ただ、働き者の女たちは、単に気が強いだけではない。むしろ、家族を支えている気骨のようなもので、言葉遣いは男みたいだが、それで一家を取りまとめ、仕切ってきたのだった。優しい言葉使いなんかでは、旦那も子供たちも制圧できないのだから。そういうわけで、おんなたちは、誰よりも家族、親戚の身内を大事にする。役所だろうが、学校だろうが、権力とか権威に対して、ひるまないたくましさも併せ持ってきたのだった。
 気が強く、ぶっきらぼうで乱暴に聞こえる上州弁だが、情に厚い。それが、上州女たちの伝統を表わす特徴なんだろうと思う。
 そんな群馬出身の有名人といえば、向井千秋、篠原涼子、井森美幸といった人たちだが、最近知った中に、瀬谷ルミ子という人もいる。向井さんや瀬谷さんは、男だって怖がりそうな仕事の真っただ中にいる。(いずれも、Web上で検索すれば必ずヒットする名前だから、URLはあえて記そうとは思わない。)