

内心、「あっ、おれっ、やばい」と思いました。
テレビに向かって、ものを言ったり、返事をしたりする人って、アブナイと思っていたんだけど、イチローが2点タイムリーを打ったあの瞬間、思わず拍手してしまったのでした。誰もいない自分一人の制作部屋で。
自分で自分に驚きましたね。軽く、ゆっくりと、二三度、拍手しただけだったんですけどね。聞きようによっては、柏手を打ったような感じの拍手。
パソコンに向かって仕事をしている時間が長いため、ワンセグをつないでBGM代りにテレビをつけっぱなしにしているのですが、この決勝の中継の時だけは、すっかり見入っていました。
9回で終わるはずだった試合が1イニング延びてしまって、「あぁあ、もう、3時になっちゃうよ…。」と、仕事がはかどらないのをテレビのせいにしていたのですが、このとどめの一打の場面は、ファウルで粘っていた時からの予感が見事に現実のものになったからこそ、思わず手を叩いてしまった、のでしょう。それくらいに、知らず知らず、この名場面に吸い込まれていたと思います。
さて、ところで・・・。
国際試合でずっと気になっていたのは、韓国の日本に対するナショナリズム的な敵愾心だった。韓国マスコミも、そうすることが受けるから、世論を煽ってきたように思う。韓国ナショナリズムはこのままエスカレートしていくのかな、と、危惧もしていたのだが、決勝を終わってみて、対戦した双方をたたえる論調に変わったのを見て、少しは安心した。
アメリカのマスコミも、経済専門新聞のウォールストリートジャーナルでさえ大きく取り上げて絶賛したほどだから、切磋琢磨し合ってきた日韓両チームの試合ぶりは、誰が見ても、それこそ歴史的な内容だったのだろうと思う。
中継の最中にも槇原や佐々木がしきりに指摘していたように、イチローは歩かせる場面だったにもかかわらず、韓国チームが勝負に出たのを「あっぱれ」と称えていた。この場面、日韓双方の選手たちは、同じ気持ちになっていたのだと思う。双方とも勝負師になりきって、意地と意地とをぶつけ合ったのだと思う。
その伏線は、実は、9回の裏に、ダルビッシュが1点献上した時から始まっていたように思う。二人続けて歩かせてしまうようなピッチングなら、ピッチャーが力みすぎているか不調であるか、いずれにせよ、続投させるのは、普通なら、正しくないだろう。そして、案の定、不必要に出してしまったランナーを生還させてしまったために、延長戦になった。だが、それはそれで、ダルビッシュに勝負させた監督の原の決断でもあったわけで、力みすぎだろうと何だろうと、全力で当たって失敗したのだから、それでいいじゃないかという潔さだったのではないか。だからこそ、韓国の選手たちにしても、同じ勝負師の気持ちに立ち切ったのだと思う。失敗するなら、それも、やむを得ない、そういう危険をかけてでも、堂々と勝負しようじゃないか、と。
作戦上は、9回裏のダルビッシュの乱調の時も、10回表のイチローを敬遠しなかったときも、どちらも、策を打つはずの場面だった思う。双方とも、監督が動かなかったのは、たぶん、選手たちの気迫がそうさせたのかもしれない。いよいよ最後だ、これで決着をつけよう、と。
結果は、日本中がどよめいた通りではあったのだが、個人的にも、これで、ナショナリズム的な空気を醒ますことになって良かったとも思っている。
さて、今週は、スポーツ・ウィークでもある。週末には、サッカーの国際試合があるし、日曜日には大相撲千秋楽だ。スポーツと国旗・国歌と。考えさせられる場面が、また、待っているとも言える。