こんにちは。


今日は、イタリア中心地、ローマの北部に位置するヴィテルボの街について書きたいと思います。




前日のヴィテルボ温泉ホテル記事はこちら下差し


https://ameblo.jp/florence-music-art/entry-12783539993.html







現在も中世期の街を囲む城壁が

当時の姿を見せてくれます。



教皇の温泉(テルメ デイ パーピ)と言われる、3000平方メートルもある温泉プールもあるこの街は、

13世紀末から数代に渡って、ローマから避難してきた教皇(ローマ法王) の居住地となっていました。





聖堂のある広場へと登っていくと、教皇の宮殿の前に出ます。





上ったところに教皇の宮殿が。

(右下端のアーケードの下から

階段を登って来ました)





幸運にも青空が見えてクッキリ綺麗〜





ヴィテルボを居住地とした第一代目の教皇が亡くなったあと、

その次代の教皇を選出する会議「コンクラーベ」が開かれました。

ヴィテルボは、このコンクラーベ33ヶ月も続いたことでも有名です。びっくり




コンクラーベと言えば、有名なダンブラウン著作サスペンス小説で映画にもなった「天使と悪魔」のも出てきましたね。


コンクラーベは、「根比べ」からきているの?っと言われても納得してしまうくらい、根気のいる長期戦選挙会議で有名ですが、爆笑


ラテン語の「CUM CLAVI」(鍵のかかった) を語源としており、正に決定するまで鍵を掛けて選挙に没頭する、という意味な訳です。





話が逸れましたが、教皇の宮殿内にあるコンクラーベの部屋がこちら。






ここで、何故コンクラーベ33ヶ月も続いたのしょう?


それは当時コンクラーベに参加していた枢機卿たちが、それぞれ関連したバックラウンド(自分の出身国の国王、皇帝、政治家など) から圧力がかかり、それぞれがバラバラな要望を持っていたため、なかなか話がまとまらなかったからです。



当時、皇帝承認権をも握っていた教皇(ローマ法王) は、そう言った権力争いに巻き込まれ、暗殺を恐れてヴィテルボに移住していたのです。



当時は、一度選挙会議をして誰も選出されなければ次の会議は1ヶ月先(または数ヶ月先) に延期され、ダラダラと時が流れていたようです。


1年経っても2年経っても埒があかないこの会議にシビレを切らしたヴィテルボの住民は、いい案を思いつきます。


そうです。


会議室に鍵を掛けて枢機卿たちが外へ出られないようにしてしまったのです!


おまけに、会議中の豪華な食事も取りやめ、パンと水だけを与えることにしました。


極めつけには、上記写真にある屋根まで取り払ってしまったそうです。


(この部屋には当時テントを張っていた釘を打っていた跡も残っています)


コンクラーベ」と言う名前は、この教皇選挙会議の時から呼ばれるようになりました。



この条件の元で枢機卿は、あっという間に次代教皇を選出したようです〜。ウインク



ヴィテルボに居住していた歴代の教皇(ローマ法王)の肖像画が飾られています。







当時のネウマ

何と美しい手書き、、、ラブ






当時会議に参加していた17人の枢機卿の印章



隣りにある教会にも入ってみました。







豪華なバロック様式も好きですが、シンプルな中世期の様式も厳かな雰囲気に心が洗われるようで好きです。













街並みも軽く観光するには素敵な風景がいっぱいでした。


機会があったら是非行ってみて下さい〜。

ハートハートハート

最後までお読みいただき、有難うございました。