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こんばんは、ハンナです🌸🌙

 



 


私は目覚めの過程で

全てを失うような感覚を持っていました。

 



 

✴︎私の目覚めの過程についてはこちら




 

適応障害となって仕事を失い

自分というアイデンティを失い

 



一人の時間が必要だったので

友達も、彼も失い、

 




それまでの意欲も目標も

分析力もマインドで理解する知識も。

 





人間らしさを失いました。

 






一生懸命調べ、学びを深めたりすること、

それまで理解していた

自分自身の知性も失いました。

 






私は崩壊し、全てを失ったのです。

 

 



 

そう、思ったのです。

 

 

 

 

そう、世間では言われていて

教えられてきました。

 



思い込んでいました。

 

 

 



病気をしたら

仕事を無くしたら

友達を失って孤独になったら

彼を失って一人になったら

 



理性を失い、頭で考えることが

思うようにできなくなったら



周りが理解できないようなことを

感じるようになったら


 

これまで積み上げてきたものが

全て崩れ落ちたら

 



それはレールから外れた状態で

社会に還元されないものであり


これまでの自分から

あらゆるものを喪失した状態になるのです。

 

 

 

 

 

 

しかし、本当にそうでしょうか?

 

 

 


 

 

マインドやアイデンティティを失うことは

本当に喪失なのでしょうか?

 

 

 


 

 

あるいは

獲得なのでしょうか?

 

 




 

 

あなたはどう思いますか?

 

 



 

 

 


 

喪失と言われるもの

それは、実は

「獲得だった」

そう言えると思います。

 

 

 

 

 

私は病気によって

自分自身と本当に向き合う必要がある

ことに気づき


また、薬や何かに精神的に頼ろうとする

自分に気付きました。

 

 

 

 

 

失業することで

実際存在しない「何か」にしがみつき


言い訳をしながら操り人形のように存在し

自分の創造性や生命を放棄している状態に

気付きました。

 

 

 

 

彼や友達との付き合いは

一時的に孤独感から解放され


癒してもらったり

足りないものを埋めてもらおう

としていた自分、


周りと比較して生きる

そんな、他人よがりの状態に気づきました。

 

 

 


 

私が持っていたそれまでの人間関係は

執着、拘束、エネルギーの奪い合いだったと

はっきりわかったのです。

 

 




論理性や分析力を失い

これまでのように学びを深め

知識を積み上げていくことが

できなくなったことによって

 

 

 

より直感やあらゆる感覚、

全ての可能性に

オープンになれるようになったのです。

 

 

 

 

 

失うものなどなく

足りないものなどない

 

そう気付きました。

 

 

 

 

 

 

足りないものがないというと横柄で傲慢だと

感じるかもしれませんが

 

 

 

足りないものがある

欠けているものがある

そうした意識は

 

 

 

 

本当の意味で

自分の人生を生きることができないと

無意識に宣言しているようなものだったのです。

 

 

 

 

自分の人生は

誰かや何かに少しでも拘束されており

自分で創造することができないと。

 

 

 

 

 

 

 

 

でも、本当にそれらの

「操作する者たち」

は存在するのでしょうか?

 



 



会社の上司に?

自分の親に?

社会に?

幼い頃の体験に?

 

 

それらに本当に

操作されていたのでしょうか?

 

 

 


 

それらが本当に原因で

私は拘束から

解放されることができない苦しみを

仕方なく味わうしかなかったのでしょうか?

 

 

 

 

 

私は信じ込んでいました。

それらが原因で

私は進めないのだと。




でも、本当にそれらの

「操作するもの」は

存在しないのです。

 

 


 


 

存在するのは

思い込みです。

 

 


 

そこから抜け出せないという思い込み。

 

 




抜け出す方法がない

抜け出したら非難される

抜け出したら生きていけない

 

 

 


 

私は、周りの人や、社会、親や

これまでの体験の記憶や教育によって

操作されていると思い込んでいました。

 

 



 

彼らやそれらがいけないのだと。

しかし、本当に

自分の人生を歩んでいなかったのは

私だったのです。

 

 

 


 

私が人生を受け渡してしまっていたのです。

本当は存在しない、

私の思い込みが創造したものたちに。

 

 



 

 


 

スピリチュアリティは今、

とても精神的な活動となってしまっており

エンターテイン的に親しまれ

そこに答えを求め、探求されています。

 

 

 

 

祈りを捧げることで

自分ではない他の誰かにしてもらおうとします。

 

 

 

 

行動してもらうように頼んでいます。

 

 



 

しかし、それらを行う人たちが崇拝する

「神」や「天使」という存在は誰も、

当人のために何かをすることはできないのです。

 

 



 

当人のために彼らがすることはできません。

自分だけができるのです。

 

 

 



自分の本当の神聖に気付いていれば

運命、宿命、カルマ、他人

それらのせいにする必要はないのです。

 

 

 



 

自分が生きていることを真に実感し

この一瞬一瞬を深く呼吸する時

全てのものはあなたと共に創造されます。

 


あなたのすべての部分

それは、過去世も、あなたの可能性も

全ては今ここにあり

あなたと統合されるのです。


 



 

 

 

私は全てを失ったように見えて

たくさんのものを得ていたのです

それは、しがみつくことからの解放でした。

 

 

 



 

解放されることを許し

自分がこの今という瞬間に

完璧に存在している時


そこには全てがあります。

 

 

 





喪失は

あらゆる「しがみつき」という

思い込みを乗り越え

本当の自分自身になることだったのです。

 

 



人間のハンナより🌸



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