今日は、ものすごい寒くてびっくり。

初めて、床暖を少しだけ入れたら、いつも別の場所で寝ている愛猫も暖を求めて、床暖のある部屋で寝てました。

さて、入院生活に関してのブログも今回で最後です。

 

入院8日目の朝、ドレーンからの廃液が退院OKとなる規定値をクリアしたので、

朝の回診で、主治医から、今日退院していいよ!と許可が出る。

お昼までいるなら、昼食用意するけど?と言われたが、私は、一刻も早く帰りたかったので、昼食は断り、即座に妹に連絡して、退院の準備を進めた。

 

当時、同部屋には、乳癌の部分摘出で入院していた60代の女性、鎖骨を折って入院していた20代の女性、入院中一番仲良くなった血液の難病で入院されていたおば様(このおば様の事はいつか書こうと思っています。)がいて、短い間だったけれど、

とても気が合って、食事後とか、4人でおしゃべりして過ごしていたメンバーだったので、この3人と記念写真を撮ったりして、お別れの挨拶をした。

 

あ~、やっと家に帰れる。こんなにうれしい事はない。

あれも食べたい、これも食べたいという私のリクエストに対して、妹が色々と食べ物を用意してくれて、晴れて、自宅に着いたのが、13時ぐらいだろうか。

お酒も飲んでいいと言われたので、久しぶりのワインとお寿司やら、ステーキやら

ご馳走を堪能した。

 

退院したのが土曜日で、日曜日だけのんびりしたけれど、月曜日からは仕事に復帰したので、アッという間に普通の生活。特に痛みもないし、仕事をする上では何も支障はなかった。

なんだか、10日間ぐらい、旅行に行ってきたかのように、普通の生活が戻る。

 

そして、退院して、2週間後、術後の病理検査結果を聞くために来院。

私は、この術後の病理検査の重大さを全く理解していなくて、リンパ転移なしだし、手術も無事終了したから、治療終了と言われるぐらいにしか思ってなくて、

のほほーんと、病室に入った。

 

すると、主治医から病状説明書について、説明があり、結論から言うと

「完全奏功でした。要するに癌は消失したということです」と言われた。

 

PCのモニターには、私の乳房をスライスしたいくつもの画像が映っていて、

その画像は、はっきり言って、餃子がたくさん並んでいるようにしか見えず、

私のおっぱいが、スライスされているーーー!と衝撃の画像だった。

 

摘出した乳房は、ホルマリンに漬け、断面をスライスして検査するらしい。

一部、やけどのような部ある。

おそらく、癌がやけたような跡なのだろうと。

これは、抗がん剤が非常によく効いた結果だと。

 

主治医も、自分が思っていた以上に化学療法の効果があったと。

 

以前のブログでも書いたが、主治医に、完全奏功になった理由を聞いた時に

私の癌のタイプが、薬がとてもよく効くタイプだったからと言われた。

薬との相性がよかったということだろう。

 

これは、実際にやってみなければわからないので、先生にも私にもわからない事。

私はたまたま運が良かったのかも。

でも、できることならば、私のように薬がよく効くタイプがいるのであれば、

そこから、更に研究を進めて、多くの患者さんに還元してほしいとも思った。

たまたま、あなたは、薬が効くタイプだったから・・・なんて、今どき、

そんな運任せの事をいわれても・・というのが私の正直な気持ちだ。

 

私の義弟は、希少ガンに羅漢し、私と同じ抗がん剤を使った。

私は、副作用がほどんどなかったから、義弟にも、大丈夫だよと言ったけれど、義弟は、間質性肺炎という副作用を発症してしまった。

このことが、その後の治療に大きな影響を与えてしまい、使えるお薬が制限されてしまったのだ。

私は、なぜ、完全奏功できたのか。未だに、疑問なのだ。

 

そして、主治医から、「私がもし、完全奏功になっていなかったら、更に、別の抗がん剤を投与する予定だった」と言われた。

 

そんなこと事前に聞いてないよーーー!

術前化学療法をやり、手術をして、私の中では、それで終わりかなと思っていたので、主治医の発言は衝撃的だった。

 

今、考えると、手術して終わりだと思っていた私自身に問題があるんだけどね。

 

そして、主治医からは、完全奏功になっても、分子標的薬の投与をやることになると言われる。

分子標的薬は、1年実施するというのが、標準治療として決まっているらしい。

これをやらないという選択はできるけれども、仮に再発した場合に、あの時、

分子標的薬の投与をしていれば・・という後悔が残るから、やらないという選択は勧めないと言われた。

 

分子標的薬は、抗がん剤と違い、副作用はほどんどないので、その治療を続けること自体には抵抗はなかったけれど、治療はまだまだ続くのか・・とちょっとがっかりし

た。でも、結果的に、私は分子標的薬をやってよかったと思っている。

 

私の体の中の癌細胞はほぼ消滅したと思われる状態で、更に体に薬を入れる必要があるのかと思ったけれど、体の中にわずかでも残っている癌細胞を徹底的に叩く、という工程をしたことは、じゅつ一種の保険のように思えたからだ。

 

とは言え、これで、乳癌が完全に治ったという保証にはならい。

いつ再発、転移するかなんて、誰にもわからない。

別の癌になるかもしれないし。

 

癌になったということは、再発、転移におびえながら、癌とともに生きるという人生を背負う事なのかもしれない。

やっかいだなとも思う。

 

でも、その分、自分の体や生活パターン、自分のこれからの生き方とかを考えるよう

になったと思うから、プラスマイナスゼロ!

いや、むしろ、プラスかもしれない。と思うようにした。

 

人間いつ死ぬかなんて、わからない。

病気になった事で、自分の命が自分が思っているよりも

短いかもしれないという事をる。

命には限りがあることを身をもって知る。

この経験をしないで済む人生の方が良いに決まっている。

でも、癌になったこの経験は、自分の人生にとって、決して、マイナスではない。

 

そう思えた私の乳癌闘病記録でした。

 

次は、治療費のこととか、摘出した左胸が術後、ふくらんできた?とか、入院中出会った素敵なおば様のこととか、色々、書こうかなと思います。