私は、乳癌になったとき、心身ともにだいぶ疲れていた。

私は、仕事でキャリアを築くことのほうが、人生において、プライオリティが高かったので、仕事メインの生活をしてきた。

10年ぐらい前に、自分のやりたかったことを達成し、その後、燃え尽き症候群ではないが、まったくモチベーションが上がらない。

一般的には、部署を移動するとか、転職という形で、新たに挑戦することもできただろう。ただ、私の仕事は、少々特殊だった。

 

退職した今となっては、会社のことなど考えず、自分の体、気持ちを優先すればよかったこととも思うが、当時は、そのように思えなかった。

プレッシャーや社内の人間関係の問題は、どうにもならず最悪で、大きなストレスだった。

 

社内の問題については、闘っても闘っても、どうにもならない現実。

若いころは、正義が勝つ、正しい事が絶対に通ると信じていたが、世の中はそうではなかった。正論が通らない事が一番嫌いな私は、考え方として甘いのかもしれない。

ただ、そんな状態に、ほとほと疲れ果ていた。

 

だから、乳癌になったのは、神様が、「少し休みなさい」と、

「このままでは、あなた壊れますよ。」という神様からの忠告だったのではないかと思ったりする。

 

当時の日記を見ると、「12時に寝て、ものすごくよく寝たと思って、目が覚めたら2時だった、おかしい、どう考えてもおかしい、体に何か起きている」

と書いてある。その1か月後に癌告知なのだから、自分の体からは、なにかしら

サインが出ていたのだろう。

 

そして、そんな生活をしていたから、私は、乳癌になったとき、ショックではあったけど、「今の苦しみから、解放されるんだ~」「あと10年、今の苦しみを味わなくていいんだ・・」とほっとしている自分がいたのだ。

 

こんな事を思っている、自分に、心底愕然とした。

 

病気になったのに、思うことが、これ?

生きる事に疲れている・・。仕事のせいで・・・。

自分の人生は、なんだったんだろう。。。と、情けなくて、涙が出てきた。

本当に、私は、バカだ。大馬鹿者だ。

 

自分の体、心を大切にしなかったこと。

人生において、何が大切なのかをちゃんと考えなかったこと。

 

そして、私なんて、いなくなっても、誰も悲しまないとまで、思っていた自分。

相当、心が病んでいる・・。

 

病気になって、私は、仕事以外での自分の存在価値を確認することができた。

本来、仕事に対してだけ存在価値を見出そうとすることが間違いなのだが。

当時は、そう思えなかったのだ。

 

改めて言うことではないのかもしれないけれど、家族や友人にとって、私は、生きて欲しい存在だった。

 

彼らの存在がなければ、私は、前向きに闘病生活を送れなかっただろう。

 

「生きて欲しい」という彼らからのメッセージは、これからの私の人生においても

宝物だし、当時のことを忘れず、生きていこうと思う。

 

病気になったことは、辛い事、悲しい事の方が多いけれど、私は、病気によって

救われた。

病気にならないことが、一番良いことではあるけれども、病気になったからと言って、すべてが最悪なわけでもない。

 

病気になったことをどう捉え、自分で消化し、これからの人生に活かしていくかだ。

 

私は、左胸を全摘しており、乳房の再建もしていないので、乳房のなくなった姿を見たり、抗がん剤で抜けた毛髪が、以前のように戻らなくて、明らかに以前とは違う自分の姿を毎日見ると、悲しくなる時もある。

でも、乳癌になって、得た事の方が多いので、これも人生だと思っている。

 

完全奏功になったから、そう思えるのでは?と思う人もいるかもしれない。

たしかに、今も私が、治療を継続していたら、同じように思えるかはわからない。

 

ただ、それでも、私が、自分の人生を振り返るきっかけとなったのは、

乳癌であって、乳癌になった事は、私の人生のおいて、必要な事だったんだろうという気持ちは変わらない。

 

仕事、評価など、命に比べたら、どうでもいい。

自分の人生にとって、何が一番大切なのか、命を削ってまで、やることなのか

心が病んでまで、やることなのか、そんな事を気づかせてくれたのが、

私にとっての乳癌だった。

 

 

次回は、心のオアシス、地元クリニックの先生の話をする予定。